十九の恋【クリスマス編】


  • 「黒木くん、女子大生と付き合ってるんだって!?」

    和馬はため息をついた。職場の同期の女性が興奮気味に尋ねてくる。

    こういう情報はどこから広がるのだろう。自分からベラベラと話すようなまねはしない。予想はつく。
    百合香と出会ったときのコンパの出席者の誰かが漏らしているのだろう。

    「まあね」
    「へー・・・。何歳!?」
    「19」
    「じゅうきゅうぅ〜!??それって大丈夫なの??」
    「大丈夫って・・・どういう意味?」

    和馬は少しムッとして尋ねた。

    それを少し察してか女性は声のトーンを落として言った。

    「その・・・つりあい取れるの?話とか、合う?」

    少なくともあんたよりはつりあい取れるし、話も合うと和馬は内心毒づいた。

    「そういう意味なら’大丈夫’だよ」
    「まあ、一度くらいはそういう歳の離れた子と付き合うのもいいかもね。男の人って得だな〜」

    あたかもこれから出会う多くの女性の一人にすぎないと決め付けているような口調で話す女性に対し、
    和馬はうんざりしていた。

    「俺、もう最後って決めてるから」

    和馬は書類を整理して帰り支度を始めた。こんな話はさっさと切り上げるに限る。

    「最後・・・?それって、もしかして・・・」

    うそー!と声をあげる女性を無視して和馬は事務所を出た。

    携帯を見る。百合香からのメールが届いていた。

    『お仕事お疲れさまです。今日は友達とご飯食べてて、今から帰るところだよ。
    和馬の声が聞きたいです。また夜電話してね』

    和馬の顔に笑みが浮かぶ。
    駅へと向かって歩きながら和馬は百合香に電話をかけた。

    「もしもし」
    「お疲れ様。今終わったの?」

    百合香もまだ外にいるようだった。電話越しに車の走り去る音がいくつも聞こえる。

    「うん。今どこ?」
    「東京駅」
    「東京駅ぃ?事務所のすぐ近くじゃないか」
    「そうだけど・・・和馬の仕事がいつ終わるかなんてわからないから・・・」

    どうやらすぐ近くに百合香はいるようだった。

    「そこまで行くよ。ちょっと待ってて」
    「うん!」

    百合香の素直に喜ぶ声に和馬の心も温かくなる。
    和馬は来た道を足早に戻った。

    百合香の待つ東京駅の丸の内北口へと急ぐ。

    「和馬!」

    百合香が手をあげて振っている。見ると、百合香だけでなく他にも女の子たちがいた。

    「こんばんは」

    百合香の友達らしかった。和馬は社交的な笑顔で挨拶をする。

    「高校の時の友達なの」

    百合香が恥ずかしそうに和馬に言った。

    「すごーい!かっこいいー!!」
    「あの、弁護士さんて本当ですか!?」

    友達たちはきゃあきゃあと嬉しそうに話す。

    和馬は受け答えしながらも、こうしてみると、彼女という贔屓目をなしにしても百合香はやはり大人っぽく、
    しっかりして見えると思った。

    友達たちは一目見て満足したらしく、さよなら〜と手を振って去っていった。

    「ごめんね、どうしてもみんな和馬のこと見てみたいっていうから・・・」
    「全然いいよ」

    そう言って百合香の手をとり、指をからませる。

    百合香が途端に嬉しそうに顔をほころばせる。思いがけず和馬に会えて嬉しいというのが全身で伝わってくる。

    和馬はそんな百合香を愛しい気持ちで見つめた。


    百合香は日に日に美しくなっていく。
    最初に見た時はまだ味気ない、曇ったガラスのような石だった。

    それが和馬とつきあうようになって、どんどん輝きを増し、美しいクリスタルへと変貌してきた。
    大人の女性の色香を手に入れつつある。優しく微笑むときなどは、和馬がドキリとするほど魅力的だ。

    それでいて無邪気に喜んだりすねたりする少女らしい面がまだ抜けず、可愛らしさも兼ね備えているのだった。
    歳を取れば取るほど美人になる。そう思わせるものを持っていた。

    そんな百合香が和馬は愛しくてしかたなかった。
    自分では気がついていないところが危なっかしくもあるのだが。

    百合香と出会った時、ひどく拒絶されたことを懐かしく思い出す。
    百合香はそれまで女性に拒絶されたことなどなかっただけに、百合香のインパクトは強烈だった。

    自分を’悪者’とした百合香の誤解を解きたいという自尊心から始まったといってもいい。

    目を輝かせて夢を語る百合香がまぶしかく、うらやましかった。
    仕事は嫌いではないが、百合香のように人生を注ぎ込むような熱い想いはない。

    百合香と一緒にいることが楽しくなり、自然に感じられるようになると、和馬はすぐに自分の気持ちに気がついた。

    今までの恋とはどこか違う・・・。

    それでも歳の差を感じて、自分を兄のように慕っている百合香に強引に迫るつもりはなかった。
    百合香が自分の方に向くのを待つまでだと、長期戦の構えでいたのだった。

    結果、思ったよりも早く百合香の心は和馬へと向けられた。

    百合香が煮詰まりに煮詰まって、和馬への熱い恋心を告白してきた時は愛しさですぐにでも百合香を抱いてしまいたい衝動に駆られたのだった。

    可愛く、美しく、聡明な百合香・・・。

    和馬の’献身的な奉公’のおかげで、百合香とのセックスも格段に良くなってきている。
    百合香が欲情した時の官能的な表情を思い出し、和馬は体の芯が熱くなるのを覚えた。

    百合香の手を引き、大通りから外れて細い路地に入る。

    「和馬?」

    百合香がどうかしたのかという表情で和馬を見上げる。

    和馬は黙って百合香の唇にキスする。

    「・・・・ッ!」

    最初は軽く、百合香の柔らかく温かい唇の感触を楽しむ。

    百合香はすぐに終わると思っているのか、大人しく従っていたが、和馬の舌が入り込むと体を離して言った。

    「ちょっと・・・人に見られるよ・・・!」

    大通りは多くの人が行き来している。いつこの路地へ来てもおかしくはない。

    「少しだけ」

    和馬の少しが、本当に少しで終わったことはほとんどない。

    諦めたのか、百合香もキスしたくなったのか、今度は和馬を制止することはなかった。

    和馬は舌を差し込み、百合香の舌を探る。

    チュ・・・チュク・・・・

    百合香の香りが体の中に入り込み、頭の奥がジーンとしてくる。

    なぜ百合香の唇は何度味わっても足りることがないのだろうと和馬は思う。

    いつまでも味わっていたい・・・。欲望に終わりは無かった。


    唇を離して百合香の瞳を覗き込んでみる。
    黒い瞳は潤んで、熱を帯びている。和馬を欲しているのがわかる。

    和馬は内心呻いた。

    今すぐ抱きたい。この瞳をもっと潤ませてやりたい・・・。

    百合香の耳元で囁く。

    「百合香・・・俺が何考えてるか、わかる?」

    そう言って百合香の耳たぶを軽く吸う。

    百合香は体をピクンと震わせ、わずかに頷いた。

    「でもダメ・・・帰らなきゃ・・・」

    百合香は実家暮らしだ。大学生になって、さすがに門限は無いにしろ遅くなれば心配もされる。
    外泊もそう簡単にできるものではない。

    「帰りたいの?」

    和馬は知っていてわざと質問する。

    「そうじゃないわ・・・。私だって・・・和馬ともっと一緒にいたい・・・」

    百合香がいじらしく囁く。

    和馬は満足気に微笑み、百合香の頬にキスした。

    「しかたない、今度の休みまで我慢するよ」

    我慢が必要なのは私の方だといわんばかりに、百合香は和馬に抱きついて、頬を胸に押し当てた。

    和馬もぎゅ・・・と百合香を抱きしめる。

    恋もセックスもたくさんこなしてきたが、こんな風に愛しくてたまらない気持ちになるのは初めてだった。

    和馬は百合香の顔を覗き込み、再び唇を近づける。
    目を伏せて唇をわずかに開いた百合香の表情が和馬の欲望をかきたてる。

    今度の休みは百合香の体を一日中堪能してやる・・・。

    そう心に誓った和馬だった。


    しかし、和馬の願いも虚しく、強引に日曜日に予定を入れられてしまった。

    「えー・・・?また?」

    電話越しの百合香の声が途端に落ち込む。

    「俺だって行きたくないんだよ」

    百合香と出会ったときのコンパの主催者である和馬の先輩が、クリスマスまでに彼女を作るのだと必死になっており、最近頻繁に誘われるのだった。

    なるべく仕事を理由に断っているのだが、自分は百合香と出会わせてもらったという’借り’もあり、人数が足りないから来いと言われれば、行かないわけにもいかなかった。

    さっさと彼女を作らせて、無駄な時間の浪費につきあわされることを回避した方がよさそうだと和馬は考えているのだった。

    しかも今回は朝早くからスキー場へ日帰りで遊びに行くのだ。

    和馬にしてみたらこの上なく面倒で気の重い仕事だった。
    百合香に会えないどころか休みが丸一日潰れる。

    「わかった・・・。この前少し会えたし、今回は我慢する」

    百合香は本当に良く我慢してくれていると思う。

    わがままを言わないよう堪え、和馬の仕事を理解してくれて、忙しい和馬の体を気遣って心配してくれる。

    「さすがにクリスマスは大丈夫だよね・・・!?」

    百合香がハッとした様子で尋ねる。
    和馬は微笑んだ。

    「大丈夫、にするよ」
    「危なっかしいなぁ・・・」

    二人で過ごす初めてのクリスマスだ。和馬は百合香を喜ばせようといろいろと考えているのだが平日の夜となるとできることは限られる。

    「じゃあ、今度の日曜はサークル行こうかな」

    百合香が独り言のように呟いた。

    和馬は少しム・・・とする。

    「飢えた男どものいる浮かれサークルに?」
    「もう、そんな変なサークルじゃないったら!クリスマス会近いから、練習しないといけないから」

    百合香は手話サークルに入っていた。そのこと自体はとても良いことだと思うし、応援もしている。
    しかし、そこには当然男もたくさんいるわけで、和馬はそれが気に入らないのだ。

    クリスマス会を開いて、耳の聞こえない子供達を招待するのだという。

    「男は普段優しくったって、いつどんな風に豹変するかわからないんだからな」

    和馬は娘を心配する父親の心境で言った。

    「はいはい、わかってます。みんながみんな和馬みたいに紳士だとは限らないからね」
    「・・・含みのある言い方だな」

    百合香がクスクスと笑った。

    和馬は内心ため息をついた。本当に気をつけて欲しいと思っているが、百合香には通じてないようだ。

    百合香が大きくあくびをしたので、そろそろ電話を切ることにする。

    二人には恒例化している’終了の会話’があった。

    「好きだよ」
    「うん・・・私も和馬が好き・・・」
    「早く百合香に会いたい」
    「私も和馬に会いたい・・・」
    「おやすみ」
    「おやすみ。夢の中で会おうね」

    ’夢の中で会おうね’という台詞は、和馬に何かロマンチックな言葉を言ってと促された百合香が悩んだ末口にした言葉だった。

    聞いていてくすぐったくなるような言葉を百合香が照れながら言った様子が想像できて、和馬が気に入ったのだった。

    なんだか本当に百合香が夢の中に入り込んできそうな気がするから恋というのは不思議だ。

    電話を切り、机に向かう。まだ仕事が残っていた。

    クリスマスは仕事をしたくない。そう思いながら眠たくだるい体を奮い立たせたのだった。



    スキーコンパは思ったより楽しかった。女の子たちのノリが良かったこともあるが、久しぶりの雪山に仕事詰めだった和馬の心と体がリフレッシュされたからだ。

    和馬の元凶の先輩弁護士も、ターゲットにしていた女の子といい雰囲気になっている。
    これで解放されればいいのだが。

    東京へ帰る途中のサービスエリアで和馬はみんなから離れた場所に移動し、百合香に電話をした。

    「もしもし?」
    「あ、和馬。もう帰ってきたの?」
    「違うよ。これから帰るんだ」
    「そう・・・大変ね」

    電話の向こうで話し声がする。

    「まだサークル?」
    「そうなの。この先のみんなの都合が合わなくて、今日練習しなきゃいけないことがたくさんあって」
    「まさか・・・泊まり?」
    「そうならないようにするつもりだけど・・・」

    もう10時半である。和馬はとんでもないといった風に声をあげた。

    「だめだ。12時までにはタクシーで家に帰るんだ」
    「そう言われても・・・」

    百合香はみんなの視線を気にして外へ出たようだった。まわりの話し声が消える。

    「私だけ帰るわけにいかないよ。親にはもう連絡したから、大丈夫」
    「だめだ」

    和馬は容赦なくきっぱりと言った。

    少しの沈黙のあと、百合香は声のトーンを下げて口を開いた。

    「・・・どうして?みんな一生懸命練習してるんだよ?しょっちゅうあることでもないし、私だってちゃんと練習してクリスマス会を成功させたいの」
    「どうしてだって?男がいるからに決まってる」
    「そんな・・・。みんな友達よ。女の子もたくさんいるわ」
    「関係ない」

    普段の交流程度なら和馬もここまで言うことはない。
    好きにしたらいいと思うし、そこまで束縛するつもりもない。

    しかし、泊まりとなれば別だ。和馬は断固として譲らなかった。

    「・・・和馬だって、コンパしてるじゃない。女の子もいるんでしょう?」
    「俺にはやましい気持ちなんて無い」
    「私にだって無いわ」
    「百合香に無くても、男の方にあるかもしれないだろ」
    「そんなのずるい・・・どうして和馬は良くて私はダメなの・・・?」

    百合香が泣きそうな声で訴える。
    和馬は大きなため息をついた。

    「ずるいとかの問題じゃないだろ。そういうところが・・・」

    言いかけてハッとする。百合香が一番言ってほしくないであろう言葉を言ってしまいそうになった。

    「そういうところが・・・何?」

    百合香の声が震えている。遅かったようだ。和馬は額に手をあてて、目を瞑った。

    「そういうところが子供だって言いたいの?」
    「違う・・・」

    和馬の否定は百合香の耳には届いていないようだった。

    「もういい・・・!」

    百合香はおそらく泣いている。声を詰まらせて短くそう言うと、電話が切れた。
    和馬は文字通り頭を抱えた。

    百合香は和馬に子供扱いされるのを嫌う。歳の差を感じたくないのだ。

    だからこそ普段から’理解力のある大人の女性’に思われるように我慢をし、わがままを言わないように努めていることを、和馬は誰よりも知っているはずだった。

    ただ単に心配なだけではない・・・そこには独占欲や嫉妬も混ざっている。
    百合香にいつもこんな想いをさせていたのかと、今になって気がつく。

    子供なのは俺か・・・。

    和馬は携帯をパタンと閉じた。

    女性が怒っている時は触れないに限る。時間が解決してくれると和馬は経験からそう思っている。

    しかし、それ以来、百合香はいっこうに電話にも出ず、メールも返信してこないのであった。




    「いよいよ来週ね」

    職場の同期の女性がニヤニヤとしながら和馬に声をかける。

    「・・・何が?」

    和馬は新たに抱えた案件で今は頭が一杯だった。鬱陶しそうに言う。

    「何がって、クリスマスよぉ!どうするの?」

    和馬はため息をついて手にしていた書類を机にバサリと投げた。

    「さあね」

    俺が聞きたいよ、と和馬は内心思った。肝心のお姫さまは篭城を決め込んでいる。まったく連絡が取れない。

    やっかいなクライアントをかかえていることも合わさって、和馬は心底うんざりしていた。

    例の先輩弁護士はまんまとクリスマスをお目当ての女の子と過ごすらしかった。
    和馬は馬鹿馬鹿しくなって書類をまとめてカバンに突っ込み、パソコンを閉じようとした。

    そういえば・・・と思いとどまって手を止める。

    今度の土曜日が百合香の言っていたクリスマス会だ。
    百合香の所属しているサークル名で検索をかける。

    場所は百合香の大学の近くの公民館で行われ、参加は自由だった。

    見に行ってみるか・・・。

    その時携帯が鳴った。
    百合香かと思ったが、画面には妹の希の名前が出ている。

    和馬はオフィスを出て電話に出た。

    「もしもし?」
    「あ、お兄ちゃん、この前は忙しいのにありがとう」
    「いいえ、どういたしまして」
    「あのね、今日入籍しちゃった。荷物まとめて、引っ越しの準備してるとこ」

    先日、希の結婚相手の家族との顔合わせがあり、みんなで食事会をしたのだった。
    和馬はすぐに祝いの言葉を述べた。

    「そうか・・・おめでとう」
    「ありがとう。それでね・・・お父さんとお母さんのことなんだけど」
    「うん・・・」
    「離婚するみたい」
    「・・・そう。希がいなくなれば・・・そうだと思うよ」
    「式はやっぱり二人だけで海外でする。お兄ちゃんには来てほしかったけど・・・ごめんね」

    希は少し涙ぐんでいるようで、言葉を詰まらせた。
    両親の不仲の家庭で、兄妹はお互い寄り添って生きていくしかなかった。辛い思いを共にして、乗り越えてきた。

    仕事を理由に家を出た時、一番妹に申し訳ないと和馬は思った。あの両親のもとで一人になるのはどんなに息苦しかっただろうと思う。

    「希・・・幸せになれよ・・・。祝い、はずむからな」
    「うん・・・」

    希は鼻をすすって短く答えた。
    結婚式の写真を送るねと言って電話は切れた。


    妹の結婚と両親の離婚・・・。


    和馬は心に大きな穴があいた気がして、しばらくその場を動くことができなかったのだった。




    クリスマス直前の土曜日、百合香はクリスマス会の準備で朝から大忙しだった。

    部屋の飾りつけ、衣装の確認、劇のリハーサル、子供達のプレゼントの準備・・・。

    開始10分前には席が全て埋まった。立っている人たちも何人もいる。

    劇は『白雪姫』である。ナレーションや効果音が書かれている画用紙を掲げたり、大きな声を出しながら、手話もするし、動きもある。

    この練習が思いのほか大変だった。

    百合香は7人の小人の中の1人だ。

    台詞はあまりないが、陽気に動き、みんなを笑わせなくてはいけない。

    劇が始まると、子供達の目がとたんに輝きだす。

    可愛らしい白雪姫にはみんなうっとりし、魔女には怯え、小人たちが登場すると笑い、一緒に踊りを踊った。

    百合香は子供達の笑顔を見て、この日のために頑張ってきて良かったと思った。

    劇が終わると、大きな拍手が起こった。拙い演技だが、一生懸命さが伝わったのだろう。
    大人も笑顔で拍手してくれた。

    サンタに扮装した男性が、子供たちには少しのプレゼントと、全員に手作りのクッキーを配る。

    最後にみんなで手話を使ってクリスマスソングを歌った。
    子供達の目はキラキラと輝き、皆が心から喜んでいることが伝わってくる。

    サークルの部長が終わりの挨拶をしている時だった。
    ぐるりと会場を見渡した百合香の目に和馬の姿が入った。

    (和馬・・・見に来てくれてたんだ・・・!)

    今回の喧嘩は今までで一番’大きい喧嘩’だった。

    和馬がサークル活動を誤解しているのが嫌だったし、自分のことは棚に上げて、だめだと言い張ることも納得いかなかった。

    何より、これまで和馬のためにと我慢してきたことが無駄だったのかという悲しみが大きかった。

    しかし、時間が経つにつれ、和馬が心配するのも無理はないと思いなおして反省していた。和馬はサークルのみんなと会ったことは無いわけで、コンパのように一度だけで終わる関係でもない。

    男か女という以前に、実際に百合香は若いのだから、心配される要素も多い。自分はもう大人だと思い込みたい気持ちが強くあったために、和馬の注意に耳を貸さなかったことは良くなかったと思い始めていた。

    クリスマス会が終わったら連絡しようと決め、それまでは練習に集中してきたのだった。



    クリスマス会が終わり、来場者たちがぞろぞろと帰る。
    百合香は和馬のもとへ駆けつけた。

    「和馬、来てくれたんだね」
    「良かったよ。七人の小人」

    開口一番、和馬は褒めてくれた。百合香は少し照れて微笑んだ。

    「ごめんね・・・連絡無視してて・・・。やっぱり、私ってまだまだ子供なんだわ」

    謝る百合香を和馬が黙ってじっと見つめる。

    「和馬?」

    無視していたことを怒っているのだろうか。心配して和馬を見上げるが、その瞳には怒りはなく、悲しげで寂しそうに見えた。

    「どうしたの・・・?何かあった?」

    和馬はふ・・・と笑うと、首をわずかに横に振った。

    「今日は・・・これから何かある?」
    「打ち上げがあるけど、私は行かないの。終わったら、和馬に会いにいこうと思ってたから・・・」
    「それなら良かった。ちょっと一緒に行ってほしい場所があるんだ」
    「うん・・・わかった。あ!でも、片付けはしないといけないの。待っててくれる?」
    「もちろん。外で待ってるよ」

    久しぶりに和馬に会えたことが嬉しく、百合香は急いで片付けを始めた。

    「ねえ、さっきの人、百合香ちゃんの彼氏?」

    先輩女子に尋ねられて、百合香は少し顔を赤らめて頷いた。

    「素敵な人ね〜。うらやましいなー。大人の男って感じで」
    「そんなんじゃないですよ。もう最近はお父さんみたいな感じで」

    褒められて、照れを誤魔化すためにそう答えたが、内心では別のことを考えていた。

    確かに和馬は大人だけど、まわりが思うほどには歳の差を感じない。
    一緒にいて落ち着くし、話題も困ることはない。
    今回少し離れてみて、百合香は気になっていることがあった。

    自分はいつも和馬に甘えているが、和馬は年上だということもあってか百合香に甘えることはない。いつも受け止める側にいる。

    和馬は誰かに甘えることがあるのだろうか・・・。

    それが自分でありたいと思う。だからこそ早く大人になりたいのだ。

    支度を終え、サークルのみんなに挨拶を済ませると、百合香は和馬のもとへと急いだ。



    「ごめんね。お待たせ」
    「お疲れ様」

    和馬の車に乗り込む。なんだかとっても久しぶりな気がした。

    「どこに行くの?」
    「どこだと思う?」
    「んー・・・ご飯食べに、どこかのレストラン?」
    「ハズレ。ヒントは・・・クリスマスと言えば?」
    「ツリー?」
    「まあ、それもあるね」
    「もう!意地悪しないで教えてよ」

    意地悪という言葉に和馬は声を上げて笑った。

    「クリスマスといえば教会だろ?」
    「教会?」
    「やっぱり日本人はちょっと違うよなあ。まあ、習慣というか宗教が違うからな」
    「和馬ってクリスチャンだっけ?」
    「んー・・・親がね。俺は洗礼受けたりはしてないけど、要素としてはやっぱり少しあるかな。そこまで深くはないけどね」

    初めて聞く話だった。意外だな、と百合香は思った。
    和馬はそういったものに対して、どちらかというと興味がないと思っていたからだ。

    和馬が連れていってくれたのは神奈川にある小さな木造の教会だった。

    民家と少し離れた森の中にそれはあった。
    軽井沢で見かけた教会に雰囲気が似ている。

    灯りがついていた。扉を開けると正面に十字架が飾られている。
    祭壇の前に窮屈そうにグランドピアノが置いてあった。壁にはいくつかの絵画と像が飾られている。
    百合香は厳粛な気持ちでそれらを眺めた。

    「ここは俺の両親が結婚式を挙げた場所なんだ」

    和馬が呟くように言った。
    百合香は少し驚いて和馬を見上げる。

    「昔、俺が小学校あがるまで、この近くに住んでたんだ」
    「そうなんだ・・・」
    「両親とも働いてたから、よくこの教会の牧師さんのところに預けられてた。・・・妹と二人で」

    和馬は懐かしそうに椅子の背もたれを撫でた。

    「思い出の場所なのね」
    「思い出の・・・か。そうなんだろうな・・・」

    和馬は正面の十字架を見つめて、少しの沈黙の後、ポツリと言った。

    「離婚したんだ」
    「・・・え?」
    「親が離婚したんだ。妹が結婚して家を出るって決まって、すぐに」

    百合香は和馬の寂しそうな横顔をみつめた。
    和馬は少し自嘲気味に笑うと歩き出し、ピアノの前で止まった。

    「ずっと・・・早く離婚すればいいのにって思ってた。俺達のために一緒にいるんだとしたら、それは間違ってる。不仲な親を毎日見ている方がずっと辛いんだって。でも・・・いざそれが現実となると、思ったより堪えて・・・」

    和馬は小さくため息をついた。百合香は黙って和馬の言葉を待った。

    「どんな形であれ、あれが俺の’家族’だったんだ。微妙なバランスで、今にも崩れそうだったけど・・・それでも繋がってたんだ・・・」

    百合香は和馬の胸のうちを聞いて心が痛んだ。
    長い間、危ういながらも繋がってきた家族。それが一気にバラバラになり、終止符が打たれたことに、和馬は自分でも想像していなかった寂しさを感じているのだ。

    「暗い話してごめんな」

    和馬は百合香の方を向いて優しく微笑んで言った。

    百合香は首を横に振った。

    「そんな風に言わないで。和馬の・・・大事な話じゃない」
    「この歳で親の離婚でヘコむなんて情けないよな」
    「歳なんて関係ないよ・・・」

    百合香は和馬の手を取った。何と言っていいのか言葉を選びながら言った。

    「無責任なこと言えないけど・・・きっとまた別の家族の形になっていくんだよ。別々に暮らし始めても、それぞれ繋がってることに違いは無いもん・・・」

    もっとうまく励ましたいのだが、良い言葉が出てこない。
    何か言おうと頭を悩ませている百合香を見て、和馬はクスっと笑った。

    「ありがとう」

    百合香は自分のなぐさめが下手なことを笑われたような気がして居心地悪かったが、和馬の表情が少し和らいだように見え、それ以上は何も言わなかった。

    「別の家族の形か・・・」

    和馬はそう呟くとしばらくの間何も言わず十字架を見つめた。
    百合香も一緒に見つめる。

    静かだった。オレンジ色の光に包まれ、手を繋いだ二人の影が古びた床に映し出されている。
    まるで世界には二人しかいないかのような錯覚に陥る。



    和馬はゆっくりと歩き、ピアノの椅子に座り蓋を開けた。鍵盤に指を落とす。
    綺麗な音色が教会の中に響いた。

    「・・・和馬、ピアノ弾けるの?」

    百合香が驚いて尋ねる。

    「少しね」
    「知らなかった・・・。何で言ってくれなかったの?」
    「キザだろ?ピアノ弾けるとか言うと」
    「そんなことない。素敵なことだわ」

    百合香はピアノに寄り添うように立った。

    「何か弾いてみて」
    「いいよ。何がいい?」
    「んー・・・クリスマスっぽい曲」
    「またアバウトだなぁ・・・」

    和馬は指ならしにポロンポロン・・・と弾くと、小さく咳払いして、姿勢を正した。

    『諸人こぞりて』

    美しい賛美歌のハーモニーが聴こえてきそうなきらびやかななメロディ。
    和馬の奏でる優しいピアノの音が冷えた空間に一気に広がる。

    百合香は無意識のうちに知っている部分の歌詞を口ずさんだ。
    和馬の綺麗な指が鍵盤を動く。

    軽やかに終わりを迎えると、それで終わりかと思った百合香は拍手をしようとした。

    しかし和馬の指は鍵盤を離れず、別の曲を弾き始める。



    真っ暗な夜空に深々と雪が降り積もっていく情景・・・。
    寂しく悲しく、美しい高音の繰り返し・・・。




    『メリークリスマス・ミスターローレンス』





    その澄んだ音色は冷えた空気を伝い、冴え渡る。
    百合香は鳥肌が立つのを感じた。

    和馬の切ない気持ちが痛いほど伝わってきて、百合香は胸が熱くなり、息を呑んだ。

    今だけ・・・この曲を弾いてる間だけ思い切り悲しませて欲しい・・・。

    そう訴えるかのように和馬は今の素直な気持ちを溢れさせていた。

    ゆっくりと鍵盤を撫でるような優しく物悲しい旋律から、力強い旋律へと変化する。

    クライマックスに向け、和馬は想いを爆発させた。

    悲しみの中に差し込む希望の光・・・。
    その光に向かって突き進んでいこうとする和馬を感じた。

    百合香は泣いていた。
    和馬が初めて弱さを見せてくれた気がする。

    和馬の指が止まり、音がゆっくりと、冷たい空気にまぎれて消えていった。

    百合香は和馬の背後にまわり、そっと後ろから和馬を抱きしめた。


    (私がいるよ・・・和馬・・・・私がずっと側にいるから・・・)


    和馬はそれに答えるように百合香の手を優しく撫でた。

    悲しみは半分に・・・。

    一緒に生きていくということはそういうことなのかなと百合香は思った。

    和馬が立ち上がるまで、百合香は和馬を抱きしめ続けた。



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