オフィスラブ【志乃 partV】


  • 志乃は笑いがとまらなかった。何度も何度もキーケースを眺める。

    「志乃ちゃん…顔崩れっぱなし」

    隣の席のさわ子が横目で睨みながら呟く。
    志乃はあわてて顔を引き締めた。ここ最近は志乃も仕事が忙しかった。
    仕事中にヘラヘラしてる場合では無いのだが…。

    「どうせ劉生さんから合い鍵でももらったんでしょ。」

    志乃はドキっとした。まさにその通りだったからだ。

    「さわちゃん、なんで知ってるの!?」

    志乃は小声でさわ子を覗き込んで言った。
    さわ子はふーっとため息をついて言った。

    「あのねぇ…机の上にわざわざキーケース置いて、ニヤニヤ笑いながら見つめてんだもん。
    そのくらいわかるって」

    志乃は自分では抑えてたつもりだが、思ってた以上に顔に出ていたようだ。
    仕事が忙しい劉生は、志乃と会う約束をしても急に遅くなることが度々あった。
    そういう時に自分の家で待つようにと、マンションの合鍵を渡してくれたのだ。

    志乃は今まで合鍵をもらうなんて経験は無かった。
    その鍵が「彼女」の証であるように思え、嬉しくてしかたなかったのだった。

    「ふーん、それで、先に帰ってご飯とか作って待ってたりするわけだ。いいわね〜。」

    さわ子は羨ましそうに言った。
    志乃はさわ子の言葉にハッとした。

    今日は週末なので、劉生のマンションに泊まる予定だった。

    しかし、このところ劉生は特に忙しそうで、平日も夜中に帰っているらしく、疲れた様子だった。

    志乃は泊まりに行くのをやめようかと思っていたが、さわ子の言葉で思い直した。

    (ご飯・・・思いつかなかったけど、作りに行こうかな。いつも外食って言ってたし・・・。)

    劉生は日頃まともなご飯も食べてないに違いない。

    (やっぱり、今日行こう!そして何か作ろう!)

    志乃はこうしてはいられないと、にやにやするのを辞め、仕事を早く切り上げるため気を引き締めた。

    志乃は特別料理が上手なわけではなかったが、酒飲みなのでつまみは良く作った。

    (やっぱり女の子らしくオムライスなどを作るべきかな・・・)

    しかし、最初は無理して失敗するより、作り慣れているものにしようと思い直した。
    劉生も夜遅いだろうし、軽いものの方が良いに違いない。

    志乃は結局、明太子と海苔の玉子焼きとあさりの酒蒸し、まぐろのたたき、温野菜のサラダを作った。

    (完全に私の好みになってしまった・・・)

    劉生の家のキッチンは、ほとんど使用された様子がなく、道具もまともにそろってなかったので、
    志乃は簡単に作れるものにして正解だったと思った。

    彼氏の家で彼志乃ためにご飯を作る・・・志乃は幸せだった。

    (劉生さん、喜んでくれるかな)

    志乃は期待と不安がいりまじった気持ちで劉生の帰りを待った。

    「ガチャ」

    志乃が料理の後片付けをしていると、ドアが突然開いた。

    「あれ・・・?あー、志乃ちゃん。どーも、お邪魔しまっす。」

    劉生かと胸躍らせたが、そこには弟の等伯がいた。

    「あ・・・どうも・・・」

    等伯はあたりまえのようにあがり、志乃が用意した料理が並ぶテーブルの前に座った。

    「へ〜うまそう」

    そう言って、玉子焼きをぱくりと食べた。

    「あ!」

    志乃は等伯が断りもなく玉子焼きを食べてしまったことに驚き、声をあげた。

    (劉生さんに食べてもらうために作ったのに・・・!)

    「うん、美味い!」

    そう言って、箸を取り、他の料理にも手をつけようとした。

    「あ、あの!待ってください。これ、劉生さんのご飯なんです!」
    「え?わかってるよ。いいじゃん、少しくらい。」

    志乃は本当は少しでも嫌だったが、等伯の勢いには逆らえそうになかった。
    志乃は仕方なく、全て食べられないように劉生の分を取り分けた。

    「ふーん・・・劉生のために頑張って作ったわけだ。」

    等伯が志乃をにやにやと見つめた。
    志乃は等伯と目を合せないよう、うつむいた。

    (劉生さんの弟さんだけど・・・この人苦手だわ)

    「ねえ、劉生のどこが好きなの?」

    志乃は突然の質問にうろたえた。

    「ど、どこって・・・」
    「性格?顔?それとも体?」

    志乃はとたんに赤面した。

    か、体って・・・。

    「ぜ、全部です!全部!」

    等伯はまた、ふーんと言ってにやにやと志乃を眺めた。

    「ねえ・・・劉生ってどんな風にセックスするの?」

    志乃は心臓が止まるかと思った。

    (こ、この人はなんてことを聞くの!?)

    「な、な・・・」

    志乃は思い切り動揺し、言葉が出なかった。

    「あいつ、あんな涼しげで爽やかな顔してさ。どんな顔してやるんだろ。」

    志乃は恥ずかしくて座っていられなくなり、立ち上がってキッチンに向かった。

    「まー、前の女は俺の方が良いって言ってたから、そんなに上手くはないのかな。」

    そう言ってタバコを取り出して火をつけた。

    (え・・・?)

    志乃は一瞬等伯が何を言ってるのか理解できなかった。

    (前の女・・・?俺の方がいいって・・・どうゆうこと??)

    志乃はその場で固まって動かなかった。

    「そう言えば、あの子も劉生のために飯作ってたっけなあ。志乃ちゃんと違ってへたくそだったけど。」

    志乃は聞きたくなかった。この人はなんでわざわざそんな話をするのだろう。

    「あの子モデルだったわりに・・・」
    「やめてください!」

    志乃は思わず叫んだ。自分でも信じられないくらい大きな声が出た。

    等伯は驚いてくわえていたタバコを落としそうになったが、志乃の様子に気がつくと
    鋭い目つきになって立ち上がり、キッチンに向かった。そして志乃の背後に立つと言った。

    「前の女、確か名前は弥生とかいったかなぁ。モデルだったけど、すれてなくて良い子でさ。
    でも、劉生が忙しいから全然相手にしてもらえなくて寂しそうだったから、俺が言い寄ったら
    即効やらせてくれたよ。その時に聞いたんだ。『俺と劉生、どっちが上手い?』って」

    志乃は耳を手で塞いだ。

    聞きたくない!!

    「しばらくは劉生に内緒でやってたけど、飽きたからしばらく会わなかったら泣きながら劉生と
    会いにきてさ。あいつなんて言ったと思う?『幸せにしてやってくれ』だって、バッカじゃねーの」

    ケタケタと等伯は笑った。

    「やめて!」

    志乃は目をつぶって叫んだ。

    等伯が志乃の両手をつかんで、ふーっとタバコの煙を志乃に向かって吐いた。

    「劉生はまだあの女のことひきずってる。俺に獲られたって根にもってんだ。
    志乃ちゃん、あんたのこともどこまで本気かな。そもそもあいつは仕事が恋人なんだ。」

    志乃はとうとう泣き出した。

    「志乃ちゃんも寂しかったらいつだって俺が相手するよ。」

    等伯はそう言ってタバコを流しに捨てて出て行った。

    志乃は呆然と立ち尽くし、泣いた。

    等伯が怖かったのか、劉生の過去の彼女の話を聞きたくなかったのか、劉生が自分を
    本気で好きではないのではと指摘されたことが悲しいのかわからなかった。

    全部かもしれない。頭の中は混乱していた。


    結局その日は劉生は帰ってこなかった。余程仕事が忙しいのだろうが、帰ってきて欲しかった。顔を見て安心したかった。

    しかし、志乃は自分の家に帰ることにした。
    劉生を休ませたかったのもあるが、自分自身も疲れてしまい、家で休みたかったからだ。

    月曜日になると、志乃は少し落ち着きを取り戻していたが、それでも気分は沈んでいた。
    週に1度の進捗ミーティングで劉生にチームのみんなが報告をするのだが、そのときも顔を見ることが
    できなかった。

    ミーティングが終わり、みんなが席を立つと劉生が志乃を呼び止めた。

    みんな仕事のことだと、特に疑うこともなく出ていった。

    志乃もそう思っていたのだが、劉生はみんなが出ていくのを見計らって、思いがけず志乃の手をとった。
    志乃は驚いて劉生の顔を見上げた。

    「やっとこっち見てくれた。」

    そこには劉生の優しい笑顔があった。
    志乃は泣きそうになるのをこらえ、頑張って笑顔を作った。

    「金曜日はごめん、せっかくご飯作って待っててくれたのに・・・」
    「いえ、いいんです。それより、体大丈夫ですか?ちゃんと寝てますか?」

    劉生はそれには答えず、志乃の手を強く握った。
    志乃は胸がじーんと熱くなる気がした。

    「等伯が・・・弟が来てたみたいだけど、あいつにへんなことされなかった?」

    劉生が心配そうに言った。
    志乃は等伯の名前を聞いて無意識に体を硬くした。
    それに気付いて、劉生は眉をひそめた。

    「何かされたの?」
    「いえ、何もされてないです・・・。」

    沈黙が流れる。
    劉生が時計をちらりと見て、小さくため息をついた。

    「あいつ、悪いやつじゃないんだ。でも、志乃ちゃんに嫌な思いをさせたんだったら本当にごめん。
    今度謝らせるから・・・。」

    そう言って、手を放して出て行こうとした。
    その背中を見つめて、志乃は思わず声に出して言った。

    「私は、前の彼女さんみたいに、劉生さんを裏切ったりしませんから!」

    劉生は振り返り、志乃を見つめた。

    「志乃ちゃん・・・」
    「どんなことがあっても、ましてや劉生さんの弟さんに気が向いたりしません」
    「待って、等伯から何を聞いたのかわからないけど、前の彼女のこと悪く言うのはやめて欲しい」

    志乃は劉生の言葉にショックを受けた。

    「彼女は悪くないんだ。悪いのは俺なんだから。」

    志乃は心が折れそうだった。劉生が前の彼女をかばったのが予想外にショックだったのである。

    ドアがノックされ、次に会議室を使う人たちがやってきた。

    「ごめん・・・この話はまた・・・」

    そう言って出て行ってしまった。


    それからというもの、志乃は仕事がまったく手がつかず、トイレで泣いては席を立ち、
    席に戻ってもPCの画面をぼーっと眺めるだけだった。

    「ねえ、志乃ちゃん、大丈夫?今日はもう帰ったら?」

    さわ子が心配してしきりに声をかけてくるが、志乃はうん・・・と返事するだけだった。

    (どうしよう・・・嫌われた・・・。私ごときが生意気なことを言ったから・・・)
    (劉生さん・・・まだ’弥生’さんのことが好きなんだ・・・忘れられないんだ・・・)

    以前、等伯が「同じことはもうしねーよ。」と言っていたのはこのことなのだ。

    彼女を捕ることはもうしない、という意味だったのだ。
    あの言葉で劉生は珍しく怒っていた。

    志乃は激しく落ち込んだ。食欲もなくなり、涙しか出なかった。

    劉生はさまざまな人に呼び止められ、会議に出席し、夜は遅くまで席について仕事をしていた。
    志乃のことなど考えてる余裕などなさそうだった。

    志乃はそれでもなんとか出勤していた。進捗が進まないので、サブリーダーに呼ばれて怒られ、
    泣きながら仕事をした。

    見るに見かねたさわ子が仕事帰りに志乃を飲みに誘った。

    「志乃ちゃん、一体どうしちゃったの!?」

    志乃の好きな焼酎を瓶で注文してくれたが、飲む気がしなかった。

    「まあ、劉生さんに捨てられたっていう以外ないか」
    「まだ捨てられてないもん!まだ・・・」

    志乃はシュンと肩を落とした。

    「そう、まだ捨てられてないの。なら良かったじゃない。話してみな。私が解決策導き出してあげるから」

    志乃は自分では限界のところまで悩んでいたので、さわ子のその言葉にすがった。
    経緯を泣きながら話した。

    「なるほど・・・その弟、ムカつくわね。」

    さわ子はほっけを食べながら言った。志乃は話し終わってようやく焼酎に手を伸ばした。

    「でもさ、志乃ちゃん。劉生さんは別に前カノをかばったとは限らないと思うよ。
    志乃ちゃんが前カノを良く知らないのは事実だし、良く知らない人に悪く言われたら嫌だったりするよ。
    少なくとも一時は好きで付き合ってた人なんだし。」

    志乃はさわ子が予想外に劉生の言葉に共感していたので驚いた。
    志乃の味方になってくれると思っていたからだ。

    「志乃ちゃんは付き合うこと自体初めてだからなあ・・・。じゃあさ、たとえば、劉生さんと別れた後に
    付き合った人によ、劉生さんのこと全然しらないのに、劉生さんのこと悪く言われたらどう思う?」

    志乃は少し考えてから正直な気持ちを言った。

    「劉生さんの良いところ知らないのに、悪く言わないで欲しい・・・」
    「でしょ?ましてや、その弟くんは悪意がありそうだし、言ってることも嘘かもしれない。
    良く事情も知らないでそういうこと言ったら、やっぱりよくないよ。」

    志乃は再びシュンとしたが、さわ子の説明に納得していた。

    「劉生さんは弟くんに何を言われても、自分のことを信じて待っててほしいと思うんじゃないかなあ。
    劉生さんに好きって言われたんでしょ?その言葉信じないでどーするの。彼女なんだから、誰よりも
    劉生さんの言うこと信じてあげないとだめじゃん。」

    志乃は頭をがつーんと殴られた気がした。

    そうか、自分は今まで劉生さんの彼女である自信がなかったけど、自覚する以前に劉生さんのことを
    信じてなければ彼女の自覚なんて持てないのかもしれない。

    「うん・・・そうだね。私、劉生さんに好きって言われて本当にすごくすごく嬉しかったんだった。
    忘れてたよ。だめだね、そのぐらいのことで気持ちゆらいでたら。」
    「そうそう。劉生さんがどうあれ、志乃ちゃんが劉生さんを好きな気持ちは変わらないんでしょ?
    好きなら信じて待つ!」

    そうなのだ。劉生を好きだという気持ち。それだけは確かなのだ。

    「さわちゃん、ありがとう。本当にありがとう。私、今から劉生さんちに行ってみる。」
    「うん。そうしな。また報告待ってるから。頑張って。」

    志乃は良い友人を持ってよかったと心から思った。



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