オフィスラブ【結 partV】


  • 「そうか、そういうことだったのか」

    佑一が頬をひきつらせて笑う。

    「佑一さん、あの・・・!」
    「家に帰ってから話を聞こう」

    佑一はそう言うと携帯を取り出し、どこかに電話をかけた。

    「もしもし、お久しぶりです。佑一です。ええ・・・はい・・・。すみません、突然なんですが、
    今から家に来てもらえませんか?はい、今すぐです。結のことでお話があります」
    「!」

    佑一は結の実家に電話しているのだった。結は何をするつもりだと慌て、電話を切った佑一に詰め寄った。

    「佑一さん!」
    「大声出すなよ。みっともない。家に帰ってから話を聞くと言っただろう。君の両親にも聞いてもらう」
    「勝手なことしないで!」
    「そんなことを言う権利は君には無い」

    そう言うと、純也につかつかと近づいた。

    「あんたにも来てもらう」

    純也は佑一の鋭い目つきにも怯まずに、素直に応じた。

    「わかりました」
    「待って!佑一さん、まずは二人で話し合い・・・」
    「黙れ」

    佑一は結を見下ろして低く言った。
    そしてタクシー乗り場へと向かう。

    結は突然の展開にうろたえた。

    「結、俺は大丈夫だから、行こう」

    純也が優しく結に声をかける。

    「でも、そんないきなり・・・みんなと話し合うなんて・・・」

    結の表情が青ざめる。純也はもう一度大丈夫と言った。

    「何があったって、どんなことになったって、俺の気持ちは変わらないよ。一緒にいれば結のことを守れる。
    俺もその方がいい。結は、結の気持ちを正直に話せばいいだけだよ」

    純也の心強い言葉に、結は少しだけ落ち着きを取り戻した。

    (私は・・・私の正直な気持ちを話す・・・)

    タクシーに乗り込もうとしている佑一の後に慌てて続く。
    純也が助手席に座った。

    結は勝手に自分の両親に連絡したことに、少なからず腹を立てていた。
    結にはわかっていた。
    佑一は結を悪者にして離婚できることを内心喜んでいるのだ。

    自分の不貞で離婚するのと、妻の不貞で離婚するのとでは全く違う。
    あくまでも被害者になって離婚し、彼女と一緒になるということなのだろう。

    「佑一さん、あなたのお義母さまも呼んでください」


    結は勇気を出して言った。結と純也の話をするのであれば、佑一の浮気のことも当然話す必要がある。
    佑一の母にも自分の息子の不貞を知らせてやろうと思った。

    結が自分の浮気のことを持ち出さないと思っているのか、持ち出されたところでしらを切れると思って
    いるのか、佑一は恥をかくのはお前だと言わんばかりに馬鹿にしたように笑い携帯を取り出した。

    「母さん、俺。悪いけど、今から家に来てくれないかな。大事な話があるんだ。いや・・・俺じゃなくて。
    そう。向こうの両親も呼んだから。え?宇都宮にいるの?じゃあ、すぐ新幹線で来て」

    佑一の母は電話越しで何かぎゃあぎゃあ話しているようだったが、佑一は容赦なく電話を切った。

    佑一の母、そして結の両親が揃うことになった。
    佑一とまともに話をしていないというのに、いきなり全員揃っての話し合いになり、結は焦りと不安で
    いっぱいになった。

    助手席の純也をそっと見る。
    純也は落ち着いていた。純也にしてみたら、迷惑な話に違いなかった。

    『一緒にいれば結のことを守れる』

    純也の優しさが、結の心を強くする。
    落ち着いている純也を見ていると、佑一の浮気のこともみんなの前でバラしてしまおうと思ったことが
    恥ずかしくなってきた。

    佑一のことと純也のことを一緒にしてはいけない・・・。

    確かに、佑一の浮気で寂しい思いもたくさんしてきた。しかし、佑一が浮気していたからといって、
    自分も浮気をしていいかといえばそういうわけではない。

    悪いことをした自分の負担を軽くするために、佑一の浮気をバラすのはやめよう。

    結は自分を奮い立たせ、全員が集まるからには、正直に話をしようと強く思った。



    家に到着すると、佑一はさっさと自室に篭ってしまった。
    全員が集まるまで呼ぶなということだろう。

    純也と二人でリビングでみんなを待つ。

    結は緊張と不安で落ち着かず、純也とまともに話をすることもできなかったが、純也はいたって冷静で、
    結をなだめたり落ち着かせようとしてくれた。

    1時間半ほど経ってからインターフォンが鳴った。
    結はドキリとして立ち上がり、玄関へと向かう。

    結の両親だけだと思ったら、佑一の母も一緒だった。どこかで落ち合って一緒に来たらしかった。

    「結、一体何があった!?」

    結の父は結の顔を見るなり尋ねた。
    結の母がそれをなだめて、まずは家の中に入りましょうと促した。
    佑一の母は不機嫌そうな顔で、黙って家に入り、いつものように甘い声で佑一の名前を呼んだ。

    リビングの純也の姿を見て、誰もが不思議そうな顔をした。
    純也は立ち上がり、深々と頭を下げた。

    「結さんと同じ職場で働いております高科と申します」

    結の父が何のことだという顔で、はあ・・・どうも、と返事をした。

    佑一が部屋から出てきて、全員が揃った。

    佑一と佑一の母親が一つのソファに座り、その向かい側のソファに結の両親が座る。
    結と純也は立ったままだった。

    「・・・で?佑一さん、いきなりこんな風に集合させて、一体何のお話があるって言うんです?」

    佑一の母がイライラした様子で尋ねる。

    「結が話す」

    佑一は突然結に話を振った。

    結に視線が集まる。心臓がバクバクと鳴り、緊張が頂点に達した。
    勇気を振り絞って結は顔を上げて口を開いた。

    「私・・・佑一さん以外に好きな人がいます」

    結の言葉に、一瞬時間が止まったかのように空気が張りつめる。

    「な・・・・!何ですって!?」

    佑一の母親が大声をあげた。
    結の両親は驚いて何も言えないでただ娘をみつめている。

    「結さん!あなた・・・まさかこの男と・・・か、関係があるって言うんじゃないでしょうね!?」

    佑一の母親は立ち上がって結に詰め寄った。

    「関係があるんだよ」

    佑一が決め付けるように言った。


    「なんてこと・・・・!」

    佑一の母親は怒りで体を震わせて結の頬を叩こうとした。

    パシン!

    咄嗟に純也が結をかばい、佑一の母親の手は純也の肩にあたった。

    「何してるの!どきなさい!気持ちの悪い・・・!」

    佑一の母親は純也を汚いものでも見るかのように見下した。

    「結・・・本当なのか・・・?」

    結の父親が震える声で問いかける。
    その目には絶望が浮かんで、今にも泣き出しそうだった。

    結はぐっと涙を堪え、父の目をまっすぐ見つめた。

    「お父さん・・・ごめんなさい。この人が好きなの・・・」

    父はおお・・・と低く呻き、頭を抱えた。

    佑一の母親は佑一に抱きつき、泣き始めた。

    「なんて可哀想な佑一・・・。だから私は反対だったんですよ!たいして良い家柄でもないのに、
    父親同士が知り合いだからってこんな女と無理やり結婚させられて・・・」

    そこまで言うと、顔を上げて結に向かって怒鳴りつけた。

    「他の男と関係を持つなんて!このあばずれ!恥を知りなさい!」

    さすがに、この暴言は結の心に突き刺さった。

    「佑一さん、さっさとこんな女とは離婚なさい。いいわね?」

    佑一の母は涙を拭いながら佑一に優しく語りかけた。

    「言われなくてもそうするよ」

    佑一がぶっきらぼうに返す。
    しばらくの沈黙のあと、結の父が立ち上がった。

    「佑一くん・・・すまん!」

    結の父が床に跪き、土下座をして謝った。

    「うちの娘が・・・本当に申し訳ない・・・!」




    父が土下座をして謝る姿に、結は涙を止めることができなかった。

    大好きな父を悲しませて、更にはこんな風に土下座をさせたのは私だ・・・!
    結は自分も床に座り込み、頭を下げた。

    「佑一さん・・・!ごめんなさい・・・・!」
    「そんなことで佑一さんの受けた傷は癒えません。おやめください。さっそく離婚の手続きをいたします。
    慰謝料等は・・・」
    「待ってください」

    それまで黙っていた結の母が口を開いた。

    みんなの視線が結の母に集まる。

    「あなたも結も、顔を上げなさい。こんな人に頭を下げる必要ありません」
    「何ですって・・・!?」

    佑一の母親は声を上げ、佑一は眉を寄せて訝しげな表情をしている。

    「結、あなたがその・・・高科さんとお付き合いを始めたのはいつです?」

    結の母が結に向かって尋ねた。

    「え・・・?」

    結が突然の質問に驚き、即答できずにいると、純也が代わりに答えた。

    「1ヶ月ほど前です」
    「それまでは何もなかったのですね?」
    「はい、何もありません」

    純也のはっきりした返答に、結の母は軽く頷き、バッグの中から何かを取り出した。
    写真だった。

    「これを見てください」

    そう言って佑一と佑一の母親の前に数枚の写真を広げた。

    「・・・・?」
    「・・・・あ!」

    佑一が思わず声を上げる。


    それは佑一が例の女とラブホテルから出てくる写真、佑一と結の家に二人で入る瞬間、出てくる瞬間の写真、
    路上でのキスしている写真、極めつけは彼女のマンションと思われるベランダでのセックスの写真(下半身は
    見えないが、バックの体勢であきらかにセックスしているとわかる)だった。

    結はハッとした。

    (これ・・・私が頼んでもらった写真とは違うわ・・・)

    「これは・・・・」

    佑一の母親がわなわなと写真を見つめる。

    「佑一さんは、結と結婚してすぐにこの女性とお付き合いしているそうです。
    女性のお友達に証言してもらいました」

    そう言ってICレコーダーを取り出し、再生ボタンを押した。

    『・・・本人たちは誰にも知られてないって思ってるみたいだけど、もうバレバレですよ。
    職場のみんな知ってる。あの二人不倫してるって。桜井さん、奥さんとの共同?の貯金にまで
    手をつけちゃってるらしくって。彼女、バッグとか指輪とかすごいいろいろ買ってもらってましたよ。

    ・・・二人が怪しくなったのが桜井さんが結婚してすぐだったから、奥さん可哀想だねってみんなで
    話してました。毎日彼女の家に夜遅くまでいて、土日も泊まりに行ってるみたいだし・・・。
    最近じゃほとんど家に帰ってないらしいですよ。

    ふふっ!どうやら桜井さんて’M’らしくってぇ・・・ふふふ。毎晩彼女の家でSMプレイしてるんですって。
    それがやみつきになってるんじゃないですかねぇ・・・』

    「やめろォーッ!!」

    佑一が顔を真っ赤にしてICレコーダーを取り上げた。
    慌てすぎたのか、停止ボタンを押さず、床に叩きつけたが、ICレコーダーは止まらずに再生を続けた。

    『・・・桜井さんて二人だけの時、彼女のことを’ママ〜’って呼ぶんですよ。前、彼女と私で
    食事してる時に電話かかってきて、’ママ〜早く会いたいよ〜’って言ってるの、聞こえちゃった。
    ふふふ・・・あんな顔して、実際は・・・ふふふ・・・』

    結の母はICレコーダーを静かに拾い、停止ボタンを押した。



    「・・・確かに、結はやってはいけないことをしました。結は結で責められるべきだし、反省するべきです。
    けれど、佑一さん、あなたも結にひどいことをしていましたね。それを認めた上で、話を進めてください」

    結の母の毅然とした態度に、誰もが唖然として沈黙した。

    「結はずっと佑一さんの浮気を知っていながら、2年もの間黙って耐えてきたんです。それだけ
    放っとかれていれば他の男性に心奪われることだってあるでしょう。慰謝料云々を言い出すのであれば、
    こちらも黙ってはいません。貯金を使いこんでいたのは調べればすぐにわかりますから」

    結の母がここまで調べていたことに、結は驚きを隠せなかった。

    あの時、写真を発見し、すぐに興信所に調査を依頼したのだろう。
    女友達の証言を得るためにも、きっと多額の金を渡したに違いなかった。

    父の様子からして、母はずっと黙っていたことが伺える。きっといつか佑一に突きつけるつもりで
    持っていたのだろう。

    「ゆ・・・佑一・・・!!」
    「違う!こんなのは嘘だ!母さん!!これは嘘なんだ!!は、はめられたんだ!!」

    佑一は顔を真っ赤にしたまま母親にすがりついた。
    佑一の母親は鬼のような形相で自分の息子を叩き始めた。

    「この!恥知らず!!あんたって子は・・・!!」
    「痛い!痛いよ!やめて・・・!!」

    佑一の母親は容赦なく息子を叩き、結の父が止めに入ってもまだ叩こうとしていた。

    「すみません!すみません!この馬鹿息子が・・・・!ううう・・・」

    佑一の母親は泣き崩れ、すみませんすみませんと謝り続けた。

    「お母さん、あなたが謝る前に、佑一さんが結に謝るべきでしょう」

    結の母が強い口調で言った。

    佑一の母はハッとして、佑一の腕をひっぱり床に引きずりおろした。

    「佑一!謝りなさい!」
    「・・・・・」

    佑一はなかなか謝ろうとせず、唇を噛んだまま動かなかった。

    「佑一!」


    みんなが佑一に注目する。佑一はゆっくりと口を開いた。

    「俺だって・・・結婚したくてしたわけじゃない」

    佑一の声は低く、すねているわけでもやけになっているわけでもなく、心から出てきた言葉のようだった。

    結の父がさっと立ち上がった。

    「佑一くん・・・。たとえ結婚したくてしたわけじゃなかったとしても、結に対して少しも悪かったという
    気持ちは無いというのかね」

    その声は怒りで震えていた。

    佑一はうつむいて床をじっと見つめ、何か言いたそうに口をもごもごさせていたが、結の方に体を向けると
    手をついて頭を下げた。

    「すみませんでした・・・」

    それは、本当に謝っているのかわかりかねるほど小さい声だったが、結にはそれで充分だった。

    「もう・・・いいんです・・・」

    佑一の結婚したくてしたわけじゃないという言葉が全てのような気がした。
    そもそもこの結婚自体、お互いが深く愛し合ってしたものではなかった。

    どちらが悪いということではない。二人の責任なのだ。

    「・・・今日はとりあえずここで終わりにしましょう。あとのことは二人で決めて手続きをさせましょう。
    二人とも大人なんですから・・・」

    結の母がそう切り出すと、佑一の母親は佑一を連れて実家に帰って行った。おそらく実家でも父親に
    こっぴどく怒られるに違いなかった。

    結の父はやつれた表情で空を見つめ、動かなかった。
    結は改めて両親に向かって頭を下げた。

    「本当に・・・ごめんなさい・・・」

    純也も一緒に頭を下げる。
    結の母は優しく微笑んで二人を見つめた。

    「あなたたちは、大丈夫そうね」

    その言葉に結の父はハッとして声を上げた。

    「お前!何を言ってるんだ!この男のことはまた話が別だろう!」
    「結は離婚するんだから、別に問題ないでしょう」
    「だめだ!こんな・・・既婚者に手を出すような奴は・・・!」

    結の父は純也を認めないと、突き放すように言った。

    「私は決していい加減な気持ちで結さんとお付き合いしているわけではありません。結さんを幸せに
    するつもりで・・・」
    「だめだ!何が幸せだ!ふざけたことを言うんじゃない!理性の欠片もない奴のことなど認めん!」

    結の母は、はぁ・・・とため息をついて言った。


    「あなた、人のことが言えまして?」
    「・・・何の話だ」
    「結はあなたを慕ってますから、結の前でこんなこと言いたくありませんでしたけど、あなただって
    他の女性に気移りしていた時があったでしょう」

    結の母はキッと夫を見つめた。
    結の父は突然慌て始め、落ち着き無く体を動かした。

    「な・・・何を言ってるんだ!何の話だかさっぱりわからん」
    「とぼけないでください。絢が生まれて1年たたない頃の話です。すぐに終わったようですし、
    もう昔のことですから今更とやかく言うつもりもありませんけど、あなただって二人を責める
    権利はありませんよ。私だって高科さんみたいな人が現れてたらどうなってたかわかりません。
    それほど辛くて嫌な想いをしたんです」
    「お前・・・」

    結は母の強さを目の当たりにして、ただただ驚くばかりだった。

    「・・・結、高科さん。あなたたちがしたことはやはり良くないことだと思います。人を傷つけて
    いることには違いありませんから。でも、誰にでも間違うことはあります。大事なのはこれからだと思うの。
    二人で生きていく覚悟はあるのね?」

    結は胸に熱いものがこみ上げ、涙を浮かべた。

    「はい・・・!」

    結の母は結をぎゅっと抱きしめ、頭をよしよしと撫でた。
    母に抱かれ、母のぬくもりを感じて、結は涙をとめることができなかった。

    「高科さん、結を宜しくお願いしますね」
    「・・・はい」

    純也は力強く答えて頭を下げた。

    「俺は認めん・・・」

    結の父は立ち上がり玄関に向かって歩いていった。
    結の母はやれやれとため息をついて、立ち上がった。

    「大丈夫よ。お父さんも自分に責任があるってわかってるのよ。ただ、結のことが心配なだけだから。
    また、少し落ち着いたら二人で家に来なさいな」

    結の母はそう言うと手を振って父と一緒に帰っていった。

    純也と二人残った結は、脱力して動くことができないでいた。

    「結・・・」

    純也がそっと結の肩を抱いた。

    「純也くん・・・」

    純也を見上げる。
    純也の優しい表情に再び涙腺が緩む。

    「ごめんね・・・」

    結は力なく純也に謝った。

    純也は優しく微笑んだ。

    「何で謝るの?二人のことだろ」
    「・・・ありがとう」

    純也は指で結の涙を拭いた。

    純也は突然ハハ!と笑って結の腕を引いて立ち上がった。

    「それにしても、結の母ちゃん、すげーな!」

    結もつられて笑う。

    「私もびっくりした。いつもは控えめな人だから、まさかあんな風に切り出してくると思わなかった」
    「それだけ結が大事ってことだろ。母は強し、だな」

    父が浮気していたという事実は確かに結に少なからずショックを与えていたが、それを一人黙って耐えて
    いてきた母を思い、母の強さに敬服した。

    「結のご両親のためにも・・・頑張ろうな」

    純也が結の手をぎゅ・・・と握る。
    純也の優しさの奥にある強さを感じた。

    「うん・・・!」

    この人となら生きていける。
    結は強く確信した。



    その後、佑一の方から家を結に渡すという申し出がきたが、結は断った。
    あの家に住む気にはなれなかったし、一人で生活していこうと決めていたからだった。
    結局家は売ることになった。

    結局、佑一が使い込んだ二人の貯金を全てと、それに上乗せした数百万を受け取ることとなった。
    佑一の母が結の新しい住まいの世話をさせてほしいと言うので、敷金礼金などは出してもらった。
    その他でもめることもなく、協議離婚となった。

    佑一は最後まで事務的で、特に結に悪いことをしたというそぶりもなかったが、家の荷物を整理している時に
    顔を合わせた際、結にお茶を淹れてくれた。

    結婚してからも一度もそんなことをしたことがなかっただけに、結は素直に喜び、とてもおいしいと言って
    飲んだ。
    そんな結を見ている佑一の表情は少し和らいで見えた。

    そうして二人の夫婦生活は終わった。



    結は勤めていた会社をやめた。純也と離れるという目的もあったが、違う職場で新しい気持ちで働きたいと
    思ったからだった。

    今までのような残業が多く過酷な仕事は選ばず、給料は安くなっても時間的に余裕のある仕事を選ぼうと
    思った。資格を取りたかったからだ。

    悩んだ末、パソコンスクールの講師として働くことになった。

    駅前の大きなスクールで、人に教えることに慣れるまで四苦八苦したが、専門的な知識を持っている結は
    重宝され生徒にも人気があった。

    結は結婚するまで実家で暮らしていたので、一人暮らしをすることが初めてだった。不安もなかったわけでは
    ないが、新しい仕事と新しい環境での生活は結に寂しさや感傷にひたる時間を与えなかった。

    休みの日や仕事の後は資格の勉強をした。
    簿記やFP、介護の資格等、取得可能なレベルの資格をいくつか取った。着付け教室や料理教室、英会話教室
    にも通った。

    短絡的ではあったが、資格があれば仕事を見つけるのに有利だと思ったし、生きていくうえで困らない程度に
    働き続けていけるだろうと思ったからだ。

    友達も増えたし、疎遠になってた友人たちとも連絡を取り合うようになった。

    今までの人生のなかで、これほど自分のために時間を費やしたことなどなかったように思う。

    結は充実した生活を送っていた。

    純也とは会わなかった。たまに電話をして近況を報告する程度で、今後の二人の話をすることもなかった。
    純也は結が納得するまで、一人で生活していくことを見守ってくれていた。


    「驚いたよなあ。あの結ちゃんが離婚して会社辞めて一人暮らし始めて・・・資格も取りまくって。
    顔つきも全然違うもん」

    秋がビール片手にしみじみと言った。

    「高科さんとデキてたって方が驚きよぉ!もう全然気付かなかった!!いいな〜うらやましい〜」

    瑛子が大福を食べながら唸った。酒を飲むとアンコが食べたくなると言って、二つ目の大福に手を伸ばした。

    今日は二人が結の家に泊まりに来てくれた。久しぶりに会う二人は、結の変貌に何度も驚いた。

    「うらやましいって、瑛子は高科さん好みじゃないって言ってたじゃないか」
    「そんなことないわよ。それは結婚してたから、もう既婚者はこりごりって意味で。男としては素敵じゃない!
    結の話じゃ、セックスも良いみたいだし♪」
    「結局それがうらやましいんだろ?まったく・・・。で、結ちゃんは高科さんと会ってるの?」
    「ううん。会社辞めてから全然会ってない。たまに電話してるけど。・・・元気にしてる?」

    結は二人に会って一番聞きたかったことを尋ねた。電話越しの純也はいつも元気だったが、姿を見ないと
    やはり心配になる。

    「元気だよ。今大きな案件抱えてて・・・。そうそう、そのプロジェクトのリーダーが降ろされて、
    高科さんがリーダーやってるんだよ。あれだけ大きい仕事任されるの初めてみたいで、大変そうだけど
    頑張ってやってるみたい。瑛子、今一緒に仕事してんだろ?」
    「一部手伝ってるだけね。でも高科さん偉いよ。いつも最後まで残って抜けがないかどうかみんなの仕事
    チェックしたりさ。たまに部長と喧嘩してるもんね。なんていうか、高科さんもずいぶん図太くなったと思う」
    「そうなんだ・・・」

    結は一生懸命仕事をしている純也を想像した。純也も頑張っているのだと思うと、自分の中の力が増す気が
    した。

    「高科さんもシングルになって、女の子たちにモテてるよ〜?結、大丈夫??」

    瑛子が意地悪そうに言った。

    「瑛子、そういうこと言うなって。会えないんだから不安になるだろ?」
    「だって本当のことだもん。結だって、言い寄られてるんじゃないの?可愛いんだし、独身だって知ったら
    男がほっとかないわよ」

    実際、結はこれまで何人かの男性に告白されてきた。
    それでも結の心を動かす人は純也以外にいなかった。

    「大丈夫。信じてるから・・・。それに、もし他の人のとこにいっちゃったとしても、仕方ないことだと
    思ってる」

    心配が全くないわけではなかったが、純也は自分を待っていてくれていると素直に信じることができた。
    何よりも、純也が他の女性に心が移ったとしても、自分をしっかりもとうという気持ちを常に持っていた。


    「・・・結ちゃん、本当に変わったね。ずいぶん、しっかりしたみたい。佑一さんとのこと悩んでた時とは
    全然違うもん」

    秋が優しく微笑んで言った。

    「あーあ、私もなんか資格取ろうかなぁ・・・。出会いもないし・・・。やっぱ、自分磨いておかないと、
    いい男も寄ってこないと思うのよねぇ」

    瑛子が深くため息をついた。

    「瑛子の場合は何でも男につながってるよなぁ。ま、それでも自分磨こうって気持ちは大事だよ。結ちゃん
    見習って、何かしたら?」
    「英会話とかいいわね。ねね、結が言ってる英会話教室っていい男いる??」
    「いい男いたら、授業なんか受けないでその人と付き合ってるわ。そのほうが早く話せるようになるもん」

    結の冗談めいた切り替えしに、二人とも笑った。

    「言うわね〜!結がそんなこと言うなんて驚いちゃった!」
    「ははは!でも、その通りだね。特に瑛子の場合、六本木あたりでナンパした方が早いかもよ」
    「そういう出会いを求めてんじゃないの!ピュアな恋愛がしたいの!」
    「自分がピュアじゃないくせに何言ってんだよ」

    いつものように言い合いを始めた二人を見て、結は微笑んだ。

    「二人ともありがとう」

    結の言葉に、秋も瑛子もピタリと言い合いを止め、結を見つめた。

    「辛かった時も、二人がいてくれたから耐えてこれたと思う。二人のおかげ。ありがとうね」

    軽く下げた結の頭を、二人が優しく撫でる。

    「今度はきっと幸せになれるね」
    「今ままでがひどかったもん。絶対幸せになれるって!」

    二人の優しさが結の胸を熱くした。

    頑張っている純也を頭に思い描く。
    一人じゃない。そう心から思った。




    「綺麗だったッスね〜」
    「本当、素敵な結婚式だったわね」

    職場の同僚の結婚式の帰り道。

    結は同じ職場のアルバイトの男の子と一緒に歩いていた。
    遅いので結を送ってくれるのだといって、結が大丈夫と断っても強引についてきたのだった。

    結婚式は小さなフランス料理のレストランで行われた。
    新郎新婦の幸せそうな姿を見て、結は純也のことを想った。

    離婚してから二年が経とうとしている。

    (そろそろ・・・いいのかもしれないな・・・・)

    まだまだ一人で・・・と思ってきたが、もうそろそろいいかな・・・という気持ちが芽生え始めていた。

    「ここでいいわ。ありがとう」

    マンションの近くまで来ると、結は持ってもらっていた引き出物を受け取りお礼を言った。

    「あの・・・!結さん、俺・・・」

    アルバイトの男の子が突然緊張した面持ちで切り出してきた。

    「俺、結さんのことが好きです・・・!俺と、つきあってください!」

    そう勢いよく言って、じっと結を見つめた。

    「ありがとう・・・。でも、私・・・」
    「結さんがその・・・バ、バツイチってことも知ってます!俺、そんなの全然気にしないですから!」

    結は内心笑ってそれを聞いていた。そう言っていること自体が気にしていることのように思えたからだった。

    「そうじゃないの。私、もうずっと好きな人がいるから・・・。その人以外の人は考えられないの。
    ごめんなさい」

    結ははっきりと言うと、じゃあまたねと言って振り返ることなくその場を去った。

    結がマンションのオートロック玄関の鍵を取り出そうとした時だった。

    「何告白されてんだよ」

    背後から声がして、ハッとして振り返る。

    純也がそこに立っていた。

    「まあ、そういうこともあると思ったけどさー。やっぱりムカつくなぁ」
    「純也く・・・」

    純也が結に近寄る。

    結は純也の姿を見た途端、今まで会いたくて我慢してきた気持ちが溢れ出し、言葉を失った。
    涙がにじみ、視界がぼやける。


    「そろそろいいと思うんだけど・・・」

    そう言って純也は指輪のケースを結の目の前に差し出した。

    「ボクのお嫁さんになってくれませんか?」

    純也を見上げる。少し痩せたような気もするが、優しい眼差しは変わっていない。
    結は胸がいっぱいになり、うまく呼吸をすることができなかった。

    純也が指輪を取り出し、結の左手の薬指にはめた。
    大きなダイヤが街灯にてらされてキラリと光る。

    純也が結の顔を覗き込む。

    これからもずっと一緒にいたいと思う人。
    死ぬまでセックスしたいと思う人。
    自分の手で幸せにしてあげたいと思う人・・・。

    「はい・・・!」

    結は勢いよく答え、純也にしがみついた。
    純也の大きな腕が結の体を抱きしめる。

    純也に力強く抱きしめられ、純也への想いが溢れ出す。
    どうしてこんなにも長く離れていられたのだろうと思うほど、お互いを欲していた。

    (もう離れたくない・・・!)

    結も力いっぱい純也の体を抱きしめた。

    純也は結の頭にキスし、おでこにキスすると、じっと結の目を覗き込んだ。
    熱っぽく潤んだその瞳は結が欲しくてたまらないと欲情している。

    結は唇にキスされると思っていたが、純也はなかなかしてこなかった。
    外だから恥ずかしいのかと思い、結は遠慮がちに言った。

    「うち・・・入る?」

    純也はしばらく黙って結を見つめていたが、ぎゅっと目を瞑ると、大げさに深呼吸をし始めた。

    「いや・・・やめとく」

    そう言うとニコッと笑って結の手を取った。

    「結の親父さんに許してもらうまで、願懸け。結婚するまで我慢する」

    純也の決意は固いようだった。純也に今すぐでも抱かれたいと思ったが、それが純也のけじめなら、
    結も我慢しようと思った。

    結はわかったと言って微笑んだ。

    純也と新たなスタートをきることができたのだ。
    それだけで充分だと思った。





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