社長秘書 すれ違いの愛


  • 「圭吾はどこ?」

    ブロンドのストレートの長い髪を胸までおろし、厚い唇にベージュのルージュをひいたモデル体型の
    女性が由加子の勤める秘書室に来たのは、クリスマスからちょうど2ヶ月後の午後のことだった。

    クリスマス前まではこういうことは度々あった。
    日本人でも日本人以外でも。

    しかし、由加子と社長である島谷圭吾が恋人の関係になってからは今回が初めてであり、由加子は
    驚きを隠せなかった。
    圭吾はもう他の女性と交流を断ち切っていると勝手に思っていた。

    由加子は冷静を装って丁寧に英語で答えた。

    「社長は現在会議中です。お約束は無いようですが…どういったご用件でしょうか?」

    女性はじろりと由加子を睨んだ。以前由加子はこの手の視線を浴びても何とも思わなかっ
    た。

    「どうせあなたも圭吾に抱かれてるんでしょうけど、彼は私のものよ」

    彼女たちの瞳はそう語っていた。
    しかし、実際に圭吾に愛されるようになった今、以前のように平気でいるのは難しかった。

    由加子は少し不安になった。少なくともこの女性はかつて社長と‘何かしらの’関係で
    あっただろうし、こうやって会社にまで訪れてくるということは、何かあったかこれから
    何かがあることを意味する。

    そんな考えを由加子はすぐに否定した。

    昨日、日曜日は珍しく圭吾の家でのんびり過ごし、一日中一緒にいた。

    圭吾は由加子に服を着せる時間をほとんど与えなかった。何度となく愛し合い、力つきて眠り、起きては
    おしゃべりし、再び愛し合い、一緒にシャワーを浴び、ケータリングのフレンチを食べた。

    もう家に帰らなくてはと由加子が言っても、圭吾は再び由加子を抱く。ようやく家に帰ったときは日付が
    変わり月曜日になっていた。

    由加子は自分に覆い被さる時の圭吾の真摯な眼差しや、食事のときにはしゃぐ由加子を見て微笑む
    圭吾の顔を思い出した。大丈夫、社長は私を愛してくれてる。

    しかし、由加子の自信はブロンド女性の次のセリフですぐに崩れた。

    「そう…じゃあ、これを圭吾に渡しておいてくれるかしら。」

    彼女はそう言ってポケットから取り出した何かを由加子に渡した。

    「昨日の夜…正確には今朝ね、ケイゴが忘れていったのよ。」

    ライターだった。由加子は硬直した。

    ライターはまさしく圭吾のものだった。圭吾の祖父の遺品で、昔祖父がチェコで買ったものだと話してくれた。
    国旗が彫り込まれており、その横に傷がついている。

    間違いない。由加子はこのライターを散々目にしていた。まさしく…昨日一日中。

    女性は表情が硬くなった由加子を満足げに眺めると

    「今日も昨日と同じホテルにいるから、必ず来るように伝えてちょうだい」

    と言って颯爽と出ていった。

    すかさず由加子が「あの、お名前は!」と尋ねたが、「そう言えば彼ならわかるわ」と言って姿を消した。

    由加子はライターを握りしめ、しばし呆然としていた。
    遥がすかさず声をかける。

    「久々に来ましたねー。超絶美人。社長に会いにきたんですよね?なんて言ってました?」

    英語がわからない遥に由加子は曖昧に返事をした。

    昨日…社長は私と別れた後にあの女性と会ってた。

    なぜ?きっと何か重要なことに違いないが、夜中に女性に会いにホテルに行く重要なことって…
    それにあの人「今朝」って言ってた。今朝まで一緒にいたってことだわ。

    圭吾を信じる気持ちと疑う気持ちとが入り乱れる。本人から聞くしかない。でも何て聞いたらいいのだろう。

    社長は好きだと言ってくれたが、私一人に決めたというわけではないのかもしれない。
    今までずっと束縛されずに自由に付き合ってきたのだから…。



    由加子は朝まで一緒だった二人の姿を想像して胸が痛んだ。早く圭吾の口から何も無かったのだと
    はっきりと聞かせてほしい。そして、昨日のように抱きしめてほしい。。

    仕事に戻ろうと、背筋を伸ばしパソコンに向かった時、ドアが開き圭吾が入ってきた。

    「電話は?」

    遥から郵便物を受け取り、一つずつ確認しながら尋ねる。
    遥が電話のメモを読み上げた。その間、遥が露骨に圭吾の顔を見つめる。

    「なんだ・・・何か付いてるか」

    圭吾が訝しげに遥を見返した。
    遥が由加子さんと声をかける。由加子はためらったが、遥に何か悟られてはまずいと思い、
    先ほど受け取ったライターを圭吾に渡した。

    「先ほどお客様がいらっしゃって、これを渡してくれと。それから、昨日と同じホテルに
    今日もいるので、必ず来るようにとおっしゃっていました。そう言えばわかるからと、お名前を
    教えてくださいませんでした。」

    由加子は自分でも驚くほど機械的で、冷静に話していた。

    圭吾は由加子の手の中のライターをひどく冷たい目で見ると、さっと受け取り何も言わず
    社長室に入っていった。

    由加子はとたんに不安になった。表情からは何も読み取れなかった。動揺もしてなければ
    怒っているようでもない。強いて言えば見下しているといった感じだった。

    何かあったのは間違いない。でも、一体何が。。

    それに社長は今日も彼女のところへ行くつもりなのかしら。

    由加子はいてもたってもいられず、早く仕事を終わらせて圭吾とどこかで会いたかった。
    しかし、由加子の願いも虚しく、圭吾は30分程電話をしたかと思うと、再び外へ出てしまった。

    「今日はもう戻ってこないから。君たちも定時で帰りなさい」

    由加子は圭吾の表情から何か読み取ろうと必死に見つめたが、圭吾は目を合わせてくれなかった。

    由加子は泣きそうになった。

    昨日、あんなに優しく微笑みかけてくれた人と本当に同一人物なの・・・・?




    圭吾は珍しく困惑していた。

    由加子が帰ったあと、ミネラルウォーターをコップに注ぎ、スウェーデンから取り寄せたソファに
    座りながらそれを飲んだ。今日1日由加子と甘い時間を過ごし、圭吾は心も体も満たされていた。

    由加子の白いうなじや鎖骨、そして大きな瞳を思い出しながら、もう既に会いたくなってる自分に
    気がつき圭吾は苦笑した。

    その時、電話が鳴った。

    もう夜中の12時になる。海外からの電話がしょっちゅうかかってくるとはいえ、今日は日曜日である。
    圭吾はため息をもらして電話に出た。

    「もしもし」
    「ハイ、圭吾。元気そうね」

    圭吾はしまったと思った。出るんじゃなかった。

    「リサ、君も元気そうだね。」

    リサはふん、と鼻で小さく笑った。

    「私から電話をもらってそんなに嫌そうな声するのはあなただけよ」
    「用件は?悪いが私はお姫様の暇つぶしに付き合える程暇じゃないんだよ」

    圭吾は更に冷たい声で言った。

    「あなた・・・そんな口聞けるのも今のうちよ」

    リサは少し得意気にそう言った。
    圭吾が何も言わず様子をうかがっていると勢いよく続けた。

    「叔父様が亡くなったわ。来月に正式発表するけど、私が会社を引き継ぐのよ」

    圭吾は固まった。

    「…何だって!?」
    「元々、心臓悪かったのに、叔父様お酒を浴びる程飲んで、心臓発作で死んだわ。愛人の上に乗っかり
    ながらね。」

    リサは、父が亡くなった後に会社を継いだ叔父を好きではなかった。副社長から社長になった途端に
    金使いが荒くなり、愛人を複数囲い、理不尽な人事を行う叔父は、リサにしてみたら愛する父が育てた
    会社を汚されてるように感じるのだった。

    圭吾は電話を強く握り締めた。

    「…何が目的だ」

    圭吾はリサの目的は一つしかないのを知っていたが、あえてそう尋ねた。

    「今、アカサカのホテルにいるの。来てくれるわね」

    リサは部屋ナンバーを伝えると、圭吾の答えを聞かず電話を切った。

    リサの父が立ち上げた会社は、圭吾の会社の取引の約3割を占めている。

    そもそも圭吾の会社がここまで大きくなったのもリサの父のおかげといって過言ではない。

    リサ・カーティスは、圭吾の留学時代の同級生で、リサのツテで圭吾はロンドンにある
    リサの父の会社で学生時代にインターンシップで働いていた。

    その時、リサの父にとても気に入られ、圭吾が会社を継いだ時もいろいろと手助けをしてくれた。

    その会社をリサが継ぐ…。

    リサは既に二つの会社を立ち上げ、成功させていた。経営者としてとても有能である。
    叔父が亡くなった今、問題なく継いでいける人物である。

    リサは学生の頃から圭吾を誘っていた。

    日本人とはいえ、背が高く、スマートで、優雅で紳士的な振る舞い、加えて学年トップの頭脳の持ち主。
    あらゆる女性が圭吾を狙っていた。その中でも、一番圭吾を誘っていたのがリサだった。
    リサは圭吾と常に成績を争う程優秀だったし、モデルのようなスタイルと美貌の持ち主だったため、
    誰もがリサと親しくなりたがった。

    しかし、圭吾はリサが自分を好きだから誘っているのでは無いと知っていた。

    彼女は、自分より優秀な人間を自分に夢中にさせ、ひれ伏す様を見て、女王様を気取りたいだけなのだ。
    自分に見向きもしない圭吾が気に入らないだけなのだ。圭吾はリサのその高飛車な精神を見抜き、リサの
    誘いを頑なに断ってきた。

    しかし…会社を彼女が継ぐとなったら…。

    3割を占めている取引がなくなることを考えて、圭吾は冷や汗をかいた。

    3割の取引が一気になくなる…いや、それが知れたら、何か問題有りとして他の会社も引くことだって
    考えられる。倒産は避けられないであろう。リサはそれを脅しに使うつもりなのだ。

    私を抱きなさい。でなければ、取引を中止にするわ。

    リサの声が聞こえる。リサならそれくらいのことなら平気でするだろう。実際、リサの会社にしてみたら、
    圭吾の会社の代わりなど山のようにあるのだ。

    圭吾は父から引き継いだ会社を必死に守ってきた。
    継いだ当初はそれこそ眠る暇もなく、食事もまともにとらずに働いた。

    リサの父の手伝いもあって、売り上げは父の代に比べて二倍になった。
    倒産させるわけにはいかない。

    抱くことくらい何だって言うんだ。

    スーツに着替えながら、ふと由加子のことを思い出した。

    由加子…。

    最初は、仕事はしっかりやるが、無表情で無機質なつまらない女と思っていた。
    しかし、笑った顔がとても可愛らしく、知識豊富で会話も面白い。細かいところまで気もきく。

    そして…、圭吾が由加子を抱こうとする時の恥じらう姿。。既に何度となく由加子を抱いているのに、
    由加子はいつも初めて抱かれるかのようにうつむき、体を固くする。

    圭吾はそれがたまらなく愛しく感じるのだった。綺麗なウェストと腰のラインや大きすぎない形
    の良い胸…。圭吾に必死にしがみつき、夢中になってキスしてくる姿・・・。

    圭吾は由加子を抱けば抱くほど好きになっていた。

    13歳で父親から、帝王学の一つだとして女を与えられてから、今まで一人の女に固執したことなどなかった。
    どの女も中身がなく、圭吾は性欲の処理のために仕方なく抱いたことしかなかった。

    しかし由加子は違う…。何故だろう。一緒にいたいと思うし、自分を好きになって欲しいと思うのだ。

    彼女の黒く大きな瞳は、いつも優しく圭吾を見つめ、それでいて強い意志を持った眼差しで圭吾を支えて
    くれるのだ。

    圭吾は既に自分が由加子を愛していることを認めていた。

    しかし…会社を守るために他の女を抱くことが、由加子を裏切る行為とは微塵も感じなかった。
    愛の無いセックスなど、圭吾にしてみたら社交辞令のお世辞を言うのと同じである。

    圭吾はコートを羽織りホテルへ向かった。




    圭吾は一睡もせず会社に出勤した。
    あの女の横で安心して眠れるか。

    圭吾は熱いシャワーを浴び、まだ眠っているリサを置いてホテルを去った。

    言われるがままに、圭吾はリサを抱いた。

    キツイ化粧品と香水の匂いで圭吾の気持ちは更に萎えた。

    最終的には部屋を暗くし、由加子のことを想いながら抱くしかなかった。

    最初は、圭吾がどんな風に女を抱くのかという好奇心に満ちた顔も圭吾の愛撫に次第に我を忘れ、
    喜びの声を上げた。

    終わった後、リサの笑みを見た時の嫌悪感は今まで味わったことのないものだった。

    一刻も早く帰りたかったが、朝まで一緒にいろと言われ、しかたなく一緒のベットに入った。

    寝不足の頭を抱えながら会議に出席し、社長室に戻った。
    秘書の遥から電話の確認をしていると、やたら凝視してくる。何かと尋ねると、由加子を呼んだ。

    なんだ、顔色が悪いな・・・。表情も固い。圭吾は手を伸ばし、由加子の白い頬を撫でたい衝動に駆られた。

    由加子はためらっていたが、意を決した風にライターを取り出し、女性が訪ねてきたと言った。

    圭吾はライターを見てリサのあの嫌な笑みを思い出した。
    圭吾が祖父から貰った大切なライターを忘れるはずなどない。

    そもそもホテルでは煙草など吸わなかったのだ。
    リサが勝手に圭吾のスーツから取り出したのであろう。

    何が目的か・・・圭吾を困らせることが目的だろうが、圭吾はその行為に更に嫌悪感を抱いた。

    くだらない女だ・・・。

    圭吾は何も言わずに由加子からライターを受け取った。
    そして、いくつかの電話をしたあと、由加子の不安そうな瞳には全く気がつかず、再びホテルへ向かった。



    由加子は眠れない日々を送っていた。

    あれ以来、圭吾と二人になることはなく、不安を抱いたまま
    由加子は待つしかなかった。

    圭吾の顔色も優れないのを見て、心配になっても圭吾は以前にも
    増して仕事を増やしているようで、いつも忙しなく動いていたため
    由加子から会いたいと言えないでいた。

    そんなある日、由加子のいる秘書室に来客があった。

    ちょうど由加子が化粧室に行っていた時だったので、遥があわてて
    由加子を呼びに来た。

    「ゆ、由加子さん!お客様です、その、外人さんで・・・」

    由加子はまたあの女性が来たのだと思い、心臓がきゅうっとなった。

    遥と一緒に秘書室に戻ると、そこには以前パーティーで会ったロイ・ウォルターがいた。

    「ユカコ!」

    ロイは満面の笑顔で腕を広げて由加子を抱きしめた。

    「・・・ミスター・ウォルター!」

    由加子は驚いて、ロイの顔を見上げた。

    「会いたかったよ・・・スーツの君もとても魅力的だね」

    ロイは上半身を少し離し、しげしげと由加子を見つめて言った。
    由加子は驚いていたが、嬉しくもあった。ロイの笑顔を見るとつい自分も笑ってしまう。

    しかし、そんな二人を遥が興味津々に見つめていることに気が付き、由加子は
    慌ててロイから離れた。

    「こちらはウォルター社のご子息のロイ・ウォルターさんよ。」

    由加子が遥をロイに紹介すると、ロイはボケーっとしている遥の手を取り、手の甲にキスして、
    ニッコリと笑った。

    遥はぽかーんと口を開き、固まった。

    由加子は早くロイから要件を聞こうと、慌てて話かけた。

    「本日は島谷社長は終日外出しております。」
    「ああ、ユカコ、そんなにかしこまらないで。僕は今日は君に会いにきたんだよ。」

    由加子は驚いた。わざわざ私に会いに?

    「言ったろ?必ず会いに行くって。今夜は空いてる?食事に行こうよ。」

    由加子は戸惑った。いくらなんでも今は仕事中だし、社長に知られたら・・・。
    でも・・・。由加子は日頃の鬱屈した気分から抜け出したい気もしていた。

    それに、ロイならもしかしたら社長とあのブロンド女性との関係を知っているかも・・・。

    由加子は迷ったが、ロイの無邪気な笑顔を見ると、心が和むのも否定できず、
    イエスと返事をした。

    ロイはパアッと更に顔を輝かせ、ではまた夜向かえにくると言って由加子の頬にキスして
    帰っていった。

    由加子は少年のようなロイの姿にクスっと笑い、席に戻ろうとした時、固まったままの
    遥と目が合った。

    「あの・・・この前のパーティで知り合って・・・ただのお友達なのよ」

    由加子は焦って言ったが遥は耳に入っていないようだった。

    「やっぱり・・・やっぱりセレブと出会ってるぅ〜〜〜!!羨ましいぃ!!!」

    途端に遥の瞳が輝きだした。
    その後遥からの様々な追求が行われたが、遥は適当にかわし、ロイが迎えにくるのを待った。

    しかし、そろそろ定時という時、突然圭吾が戻ってきた。今日は戻ってこない予定だったはずだった。

    「木下くん、今日はこれから付き合ってほしいところがあるんだ」

    そしてこんな日に限って圭吾が誘ってくる。由加子は心臓がきゅぅっと締め付けられた。

    「だめですよ!社長。今日は由加子さん、デートなんですよ!デート!しかも緑色の目の
    イケメン外人と!」

    遥は興奮してまくしたてた。よほど羨ましいのだろう。

    しかし、由加子は愕然としていた。遥に悪気がないのはわかっている。しかし、何も
    わざわざ報告しなくても・・・。由加子は圭吾の顔が見れなかった。

    「・・・わかった。それなら今日は杉原くん行くかい?ちょっとした食事会なのだが・・・。」

    由加子は驚いて顔を上げた。社長が遥を連れていくなんて・・・。

    遥は瞬間に満面の笑顔を浮かべぜひ行きます!と飛び上がり、化粧直しに行くと言って
    化粧室へ駆込んで行った。

    圭吾は時計を見て、そのまま社長室に入ろうとした。すかさず由加子は声をかけた。

    「社長・・・!」

    圭吾はドアに手をかけながら振り向いた。

    「なんだ?」

    由加子は心臓がドキドキして手が震えるのがわかった。
    私が食事会に行きます!そしてその後話したいことが・・・。

    由加子はそう言いたいのだが、どうしても言葉が出ない。
    圭吾の瞳がじっと由加子を見つめる。そして少し悲しそうな、自嘲的な笑みを浮かべて言った。

    「気にするな。君だってたまには他の男と遊びに行ったっていいだろう。私にそれを
    とやかく言う権利はないからな。」

    由加子は息が止まるほどのショックを受けた。圭吾が社長室に入ってもドアを見つめるしか
    なかった。

    今の社長の言葉は・・・私たちの関係がお互いに拘束力を持たないことを表している。

    ’君のことは束縛しない。だから私のことも束縛しないでくれ’

    由加子はその場に崩れ落ちてしまいそうな体をなんとか持ちこたえるのに必死だった。

    あのパーティの時、ロイと話していた私をあんなに怒ったのに・・・。
    どうして!?もう、私なんてどうでもいいの・・・?



    うきうきと足取りの軽い遥と無表情の社長を見送って、由加子もロイの車に乗り込み、
    食事に向かった。

    ロイが連れていってくれたのは、彼の父が御用達のスシ・バーで、六本木の一角にひっそりと
    存在するかなり高級そうなお店だった。二人はカウンターの一番奥に座った。

    当然味はうなる程美味しく、由加子は一時悲しみを忘れ、笑顔で寿司を頬張った。

    「よかった、やっと笑顔になったね」

    ロイもほっと息をついて、ワインを飲んだ。

    由加子はロイに気を使わせてしまったことを反省した。せっかく誘ってくれたのに浮かない
    顔をしていたら、当然困るわよね・・・。

    「ミスター・シマタニと何かあった?」

    ロイが由加子の顔を除きこんだ。緑色の瞳が、薄暗い店内の照明のせいか、深緑に見える。
    圭吾のことを思い出し、由加子は涙がにじむのがわかり、慌てて瞬きをした。

    「まあ、女性が男性のことで悩むのは、大抵他の女性のせいだけどね。ミスター・シマタニは
    さぞかしモテるだろうから、君の心配は尽きないだろうな。」

    ロイは冗談めかして言ったが、由加子の気持ちは更に沈んでしまった。

    「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだ。・・・ユカコ、実は僕はね、ミスター・シマタニと
    同じ大学で、同級生だったんだよ。知ってた?」

    由加子は驚いてロイを見上げた。社長とロイが同級生?

    由加子は驚いて顔を横にふった。

    「当時彼はすごく人気があったよ。女の子にはもちろん、同姓の僕たちも彼と仲良くなりたがったんだ。
    学生時代は今ほどクールで厳しい雰囲気じゃなくて・・・もう少し柔らかい人物だった。」

    由加子は思いがけないロイの告白にすっかり聞き入っていた。

    「ビジュアルはあの通りスマートだし、頭もすごく良いし、綺麗な英語を話す。英語だけじゃなくて、
    何ヶ国語も話してたっけな。テニスが得意で、誰も彼に勝てなかった。本当に’王子様’だったんだよ」

    ロイは羨ましさを隠すことなく、少し悲しげだった。

    「でも・・・そうやって周りが騒げば騒ぐほど彼は人と距離を作っていったように見えたな。
    彼は誰よりも自分に厳しかったよ。いずれ父上の会社を継ぐためにあらゆる努力を惜しまなかったように
    思う。」

    由加子は学生時代の圭吾の様子を垣間見て少し微笑ましい気もしたが、同時に会社を継ぐための
    努力を昔からしていた事実に胸を打たれた。

    由加子はかねてから考えていた’ある事’についてロイに思い切って聞いてみることにした。

    「ロイ・・・あなただったらどうするか・・・あの・・・’例えば’なんだけど」

    ロイはクスっと笑い「’例えば’ね、なんだい?」と言った。

    「その・・・もしあなたが会社の社長で・・・理由は具体的には言えないけど、会社のために
    女性と・・・」
    「一夜を共にすることがあるかって?」

    ロイは由加子の言葉に続けて言った。

    由加子は黙ってロイの答えを待った。
    ロイは少し考えた後、ワインを一口飲んで言った。

    「そうだな・・・僕には兄がいるから父の会社を継ぐってことはないから、現実的に考えられない
    ってのもあるけど、僕にもし・・・大切な人がいるならしないね」

    とチラっと由加子を見て言った。
    由加子は胸がズキンと痛んだ。

    やはり・・・社長にとって私の存在など・・・。

    「でも、経営者ってものはその’具体的な理由’が、倒産になりそうなほどのもので、そのためにやむなく
    そういう状況になったら・・・抱くんだろうね。多くの社員の人生を担っているわけだし、そのために
    積み重ねてきたものってのは、その人たちにしてみたら人生の全てと言っても過言じゃないからね」

    社長なら・・・会社のために女性を抱くわね・・・。由加子は深い悲しみを感じながらも一方で
    妙に納得していた。

    しかし、それを受け入れて圭吾とこの先も付き合っていけるとは思えなかった。
    私を抱いた後に別の女性と・・・。そして別の女性を抱いた後に私を・・・。由加子は耐えられそうに
    なかった。

    「由加子・・・君はそれでそんなに悲しい顔をしていたんだね・・・。辛かっただろう。
    でもね、僕の父も母以外に女はたくさんいたし、それこそ美女をそろえて人には言えないような
    パーティだってしてる。僕の父の場合は女性が特別好きだったけど、そうじゃなくて、仕方なく
    そうしてる人もいると思うよ。」

    由加子はロイが慰めてくれているのだと気付き、これ以上彼に気を使わせては申し訳ないと
    そろそろ帰りましょうと促した。

    ロイが少し散歩をしたいと、由加子の手を取り、歩き出した。
    その時、遠くから声が聞こえた。

    「由加子さーん!!奇遇ですねえ!!」

    振り返ると遥が手を振ってこちらに向かってくる。かなり酔っているようだった。

    「へへへ、こんばんは〜。私たちも今お食事会が終わってえ〜〜。」

    由加子とロイを交互に見比べ無邪気に笑った。
    由加子は遥の向こう側にいた圭吾を見つめた。


    圭吾は酔っ払った遥をつかまえ、タクシーに無理やり乗せた。

    「え〜っ、今から4人で飲み直しましょうよぅ」

    遥はそう言いながらもタクシーのシートに深く座り、今にも寝てしまいそうな目で運転手に行き先を告げた。

    由加子は圭吾から目を離せなかった。圭吾は明らかに顔色が悪かった。
    圭吾は自分が乗るためのタクシーを止めるため手をあげた。

    すると、ロイが由加子の肩を抱いて言った。

    「ミスター・シマタニ。今日はユカコをお借りしましたよ。」
    「・・・・・」
    「本当は今日だけのつもりでした。でも…気が変わりました。」

    由加子はロイが何を言うつもりなのだと、顔を強ばらせてロイを振り仰いだ。

    「由加子は今あなたといるのが辛いようです。僕だったら…どんな理由にせよ、他の女性
    に会いに行ったりしません。」

    そう言って由加子の瞳を覗き込んだ。
    由加子は圭吾の否定の言葉を待ったが、圭吾が言った言葉は由加子を更に突き放した。

    「好きにしたらいい…」

    由加子はショックで泣きそうになるのをこらえ、うつむいて表情を隠した。

    圭吾の乗ったタクシーが遠くに消えていくと、由加子は顔を両手で覆って泣いた。

    社長のことが好きだ・・・。でも、社長と一緒にいるのが辛い。会社を捨てても自分を
    選んでほしいなんて言えない。でも・・・でも・・・!

    由加子は今まで悩んでいたことが一気に涙とともにあふれ出てきて止めることが出来なかった。
    ロイはしばらく由加子の体を支え、見守っていたが、やがて静かに口を開いた。

    「由加子・・・そんなに辛い思いをする恋はやめたほうがいい。僕は君を大切にするよ・・・。」

    ロイは囁き、由加子の唇にキスした。




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