ロイのクリスマス


  • ロイ・ウォルターは久しぶりに冬のパリを訪れていた。
    ゆるやかなウェーブがかった金髪、緑色の瞳、上質だが控えめなデザインのコートを着て、使い慣れた
    エルメスのバッグを持ち、さっそうと歩く姿はパリの街が良く似合う。洗礼された優雅な身のこなしは、
    彼が上流階級の人間だと伺わせる。

    ロイは鉛色の空を仰ぎながらパリの街を歩くのが好きだった。
    パリの高級住宅地である16区に住む友人に会いにきたのと、ロイが任されている慈善事業を兼ねてやってきた。あまり1人で行動することは少ないが、今回は1人でゆっくりパリを満喫するつもりだった。

    もうすぐクリスマスだ。夜になればパリの街全体がイルミネーションで美しく光り輝く。今年のクリスマスは
    パリで過ごすつもりだった。

    ロイは普段乗らないメトロに乗ることにした。誰かと一緒だと大抵車で移動するので、たまに乗るメトロも
    また楽しみの一つであった。

    証明写真機の前を通り過ぎた時だった。

    チャリーン・・・

    小銭がロイの足元をかすめる。

    「あ!」

    証明写真機で写真を取ろうとしていた女性が声を上げた。
    ロイがそれを拾う。

    「メ、メルシィ!」

    女性はよほど慌てているらしく、ロイから小銭を受け取ると、再び落としそうになっていた。
    証明機に戻るが、説明文がよくわからないらしく、冬だというのに額に汗を浮かべて格闘していた。

    ロイは見かねて声をかけた。

    「・・・何か、お困りですか?」

    ロイは英語で尋ねる。
    女性がハッとしてロイを見上げた。

    (日本人・・・?)

    女性は黒く大きな目を潤ませ、今にも泣き出しそうな顔をしている。

    「はい、あの、写真を撮りたいのですが、よくわからなくて・・・」

    英語は覚束ないが、必死なのは伝わってくる。

    ロイはインスタントの写真証明機で写真を撮ったことなどなかった。
    女性はフランス語が読めないらしい。ロイは代わりに説明文を読み、手順を教えてあげた。

    女性は硬い表情のまま写真撮影を行い、なんとか写真を手にすることができ、ホッとしているようだったが、
    次の瞬間再び焦り始める。

    「今何時ですか!?」
    「・・・4時40分です」
    「大変!あと20分!!」

    女性は日本語で叫ぶと、ロイにお礼を言い、外に向かって走り出した。

    (なんだか・・・すごい慌てようだな)

    ロイは少し笑ってメトロの乗り場へ向かおうとした。
    しかし、振り返って唖然とした。足元に先ほどの女性が撮った写真が落ちているではないか。

    「!!」

    ロイは拾って、慌てて女性を追いかける。

    「ちょっと待って!」

    女性は自分のこととは思わないのか、振り向かず全速力で走る。
    ロイも全速力で走る。

    「ヘイ!」

    やっとのことで女性の腕を掴んだ。

    「え!?」

    女性が驚いて振り向く。
    ロイはハアハアと全身で息をして、写真を差し出した。

    「・・・忘れてますよ。お嬢さん」
    「うわあ!私ったら!」

    女性は青ざめて再び日本語で叫んだ。


    「すみません、すみません。えーと、メルシィ!!」
    「ちょっと待って!何をそんなに急いでいるの?良かったら力になるけど」

    ロイは心配になり、思わず尋ねた。
    女性はロイの言葉に少し驚いているようだったが、藁にもすがるといった様子で答えた。

    「大使館に・・・5時までに行かないといけないんです!!」
    「大使館?」
    「はい。パスポートをなくして・・・」

    女性の拙い英語によると、パスポートと現金を失くし、日本に帰るための渡航書を発行してもらうために
    大使館に行ったのだが、写真が必要なため、急遽写真証明機で写真を撮り大使館に戻るところなのだという。

    今日は22日の月曜日だが、大使館の休みは日本の祝日と同じである。23日は休みのため、なんとか今日中に
    発行してもらわなくてはいけないらしい。

    「日本大使館か・・・。ここからじゃ、今から走っても間に合うかわからない。タクシーで行ったほうがいい」
    「でも、私お金も盗られてしまって・・・もう、3ユーロしか・・・」
    「僕も一緒に行こう」

    ロイはタクシーをつかまえると、二人で乗り込み、大使館へ急ぐように運転手に伝えた。運転手のおじさんは
    陽気な口調で、任せておけと言って歌いだした。

    女性が心配がるのが伝わってくるが、運転手はパリの道を熟知しており、細い道をすいすいと通って、
    あっという間に大使館まで運んでくれた。

    「あの、ちょっと行ってきます。すぐ終わると思うので、待っててください」

    そう言うと女性は急いで大使館の中へ消えていった。

    ロイは、どうせお礼を言って終わりなのだろうからこのままこのタクシーで16区の友人の家に
    行ってしまおうと思い、行き先を告げた。

    すると、運転手がニヤニヤと笑いながらフランス語で言った。

    「おや?あの子はあなたに待っててくれと言ったんじゃないのかい?」
    「・・・そうみたいだね。でも、知り合いというほどの関係ではないから」

    ロイはフランス語で適当に返したが、運転手は急に真面目な顔つきになって言った。

    「いやいや、それはいけないよ。あの子は待っていると思っているのに、あなたがいなかったら
    悲しむだろうよ。女性を悲しませてはいけない。急いでいるわけではないなら待っているべきだ」

    なぜだかすごい剣幕でそう言う運転手に、ロイは少し呆れた。しかし、急いでいるわけではないし、
    少しだけ待ってみるかと思い、タクシーを降りた。

    「きっと喜ぶよ」


    運転手は途端に笑顔になり、うんうん、と頷いて車を発進させ去っていった。
    ロイはため息をつき、大使館の前に挙げられている日本の国旗を見上げた。

    (日本か・・・)

    ロイは日本で出会った美しい女性、木下由加子のことを思い出していた。
    由加子はロイの古くからの知り合いである島谷圭吾の会社の秘書だった。
    父の付き添いで日本のとあるパーティーに出席した際に見かけ、一目惚れした女性だ。

    しかし、彼女はボスである圭吾と恋人の関係であった。よくある話だ。
    今は昔の恋の痛手としか思っていないが、ロイはあれ以来日本人と触れ合うのを意識的に避けていた。

    寒くなってきた。時計を見ると、5時を過ぎている。そろそろ帰ろうと思った時だった。

    「すみません!」

    先ほどの女性が走って大使館から出てきた。

    「発行してもらえましたか?」

    ロイは紳士的な振る舞いで尋ねる。
    女性は何度も頷きながら答えた。

    「はい。ありがとうございました。助かりました」

    深々と頭を下げる。

    「あの、タクシー代返しますので、住所教えていただけますか?日本に帰ってから送ります」

    女性はゆっくりと英語を思い出しながらそう言った。
    ロイは笑って言った。

    「その必要はありませんよ。たいした金額ではありません」

    そう言いながら、一文無しでこの女性はこれからどうするつもりなのだろうと思った。

    「・・・失礼ですが、これからどうするおつもりですか?その、3ユーロしか持っていないのですね?」

    女性は少し恥ずかしそうに笑って言った。

    「はい・・・。でも、ユーレイルパスと航空券は盗られませんでした。だからなんとか日本には帰れます」
    「ユーレイルパス?」

    ロイは初めて聞く単語を口にしてみた。

    「はい。あの・・・なんて言えばいいのかな。・・・’電車の乗り放題券’です」
    ああ、とロイは頷いた。

    「じゃあ、これからそのパスを使って、電車で空港へ向かうのですね?」

    ロイは駅の方向を教えてあげようと思って聞いたのだが、返ってきたのは予想外な答えだった。

    「いいえ、これからアルルに行くんです」

    女性ははっきりとした口調で答えた。

    「アルル?」
    「はい」
    「・・・そのパスはTGVも乗り放題なの?」

    TGVとはフランスの誇る高速鉄道のことだ。日本でいう新幹線である。
    アルルはフランスのプロヴァンス地方に位置する。パリからずっと南だ。

    TGVか飛行機で行かないのなら、かなり時間がかかるだろう。
    女性はハッとしてガイドブックらしきものを慌てて読み始めた。

    「TGVは・・・・別料金が必要です・・・」

    そう日本語で言うと、黙ってしまった。

    ロイはその様子で察し、もう一度尋ねた。

    「良かったら・・・少しお渡ししましょうか?」

    失礼かと思ったが、それが一番親切な気がしたのだ。
    女性は、悲しそうな顔で笑い、首を振った。

    「いいえ、とんでもないです。アルルにはTGVを使わなくても行けますよね?時間はかかるかもしれないけど」

    ロイは不思議に思った。
    パスポートを失い、現金もないというのに、どうしてそこまでしてアルルに行きたいのか・・・。

    女性をじっと見つめる。黒く長い髪に、黒く大きな目。前髪が目の上で揃えられていて、幼く見える。

    ただでさえ日本人は幼く見えるが、それを踏まえても10代にしか見えない。
    茶色い皮製の大きな鞄をかかえ、紺色のあまり暖かそうではないコート、細身のジーンズにスニーカーと
    いった服装だった。おそらく学生だろうとロイは思った。

    今からTGVを使わずにアルルに行くのは無理だろう。パリで泊るか、途中の駅で泊まるかだ。
    しかし、3ユーロではホテルに泊まることもできない。

    野宿?とんでもない。日本人の女性が1人で野宿などして、何が起こるかわかったものではない。

    ロイが現金を渡そうとしてもきっと受け取らないであろう。
    かといってこのままほっておくことはロイにはできなかった。

    ロイは思い切って言った。

    「では、私も一緒にアルルに行きましょう」
    「え?」

    女性が驚いてロイを見上げる。

    ロイは迷っていたが、口にしてみると、それが大したことではなく、一番自然なことのような気がしてきた。
    どうせゆっくり過ごすつもりでフランスに来たのだ。アルルには行ったことがない。
    この機会に行ってみてもいいと思った。

    「そうと決まったら急ぎましょう」

    そう言ってタクシーを再びつかまえた。

    「あの、ええ!?ちょっと待ってください」

    女性は突然のロイの提案に困惑し、慌てた。
    タクシーが止まり、女性を先に乗せてからロイはリヨン駅へ向かうように言った。

    「あなたがアルルに行く必要ないです。どうか、私のことは気にしないでください」

    女性はロイにすがるように訴えた。
    ロイはもう決めていた。

    ほっておけないなら、とことんつきあうまでだ。アルルへ行って、再びパリに戻ってくる。ただそれだけだ。


    「お金もなく、どうやってアルルに行くつもりですか?仮にTGVを使わずに行ったとして、食事は
    どうするんです?ホテルは?女性が野宿するのをほっとくなんて私にはできません」
    「でも・・・」
    「私のことは気にしなくて大丈夫ですよ。私はイギリスから来ましたが、今回のフランス滞在中に南仏にも
    行こうと思っていましたから丁度いい」

    ロイは嘘を言って、女性が少しでも気兼ねしないように心がけたが、それは嘘とバレているようだった。

    女性はまだ何か言いたそうにしているが、何と言ったらいいのかわからないといった風に困った顔で
    ロイを見つめた。

    ロイはクスっと笑って言った。

    「困惑されるのもわかります。別に私は怪しいものではありませんよ。アルルについて行ってあなたに
    何かしようってわけではありません。そうだ、彼に証人になってもらいましょう」

    ロイは名刺を取り出し、先ほどの運転手とは違った、気難しそうな運転手に渡した。
    運転手は運転しながらチラリと名刺を見て、驚きの声を上げた。

    「ウォルター!?」

    名刺にはウォルター家の紋章が印刷してある。
    ロイは頷いて英語で運転手に言った。

    「あなたが私の身元を保証してくれると助かります」

    運転手は英語を話せるようで、頷いてバックミラーで後ろをチラリと見て言った。

    「お嬢さん、ウォルター家を知らないの?ウォルターって言ったら、この老いぼれじじいでも知ってる
    イギリスの資産家だ。世界長者番付(billionaires)でも名前が挙がるよ。本当に知らないの?
    この人と一緒にいて金のことを気にするなんて野暮ってもんさ」

    ロイは『billionaires』まで言わなくてもいいと思った。確かに少し前まではそんなこともあったが、
    現在のウォルター家はそこまで勢いがない。
    しかし、女性は運転手の英語を半分も理解していないようだった。
    フランス訛りの英語に慣れていれば問題ないのだが。

    それでも女性はなんとなくロイの素性を理解したみたいだった。


    「あの・・・あなたみたいな方がなぜ・・・」

    女性はまだ困惑の表情のままロイを見つめた。

    ロイが再び気にするなと言う前に、タクシーはリヨン駅に到着した。
    ロイはお礼にチップを多めに渡した。運転手がウィンクして『ボン・ヴォヤージュ』と言った。
    気難しそうだったが、案外人が良いのかも知れない。

    ロイは急いで駅の窓口でTGVの時刻を尋ねる。まだ間に合うようだ。


    ロイは予想外に自分がわくわくしていることに気がついた。
    TGVに乗ったことがなかった。フランスに来たらほとんどパリで過ごすし、南仏といえばニースに
    行ったことがあるが、ニースにも飛行機で行くからだ。

    1等の席を二人分取る。
    女性はあたふたとしてロイの後に続く。

    「お腹すいてる?」
    「え?いいえ、あの」

    ロイは聞いておきながら、無視して駅構内のサンドウィッチ屋に寄った。
    ツナのサンドウィッチとハムとチーズのサンドウィッチを買い、コーヒーも二つ買った。

    ホームに移動すると、二人が乗るTGVがちょうど滑り込んできたところだった。
    なんだか少年の頃に戻ったようにわくわくしてロイは微笑んだ。

    1等の席はさすがに大きく、ゆったりと座ることができた。
    テーブルの上に先ほど買ったサンドウィッチとコーヒーを乗せる。

    「実はTGVに乗るのは初めてなんですよ。なんだかわくわくしますね」

    ロイは女性を窓際に座らせ、自分もコートを脱いで座った。

    「ええと・・・あ!そういえば、あなたの名前を聞いていなかった」

    ロイはハッとして言った。

    女性はその言葉にやっと気をゆるしたような笑顔を見せた。
    ふふふと笑って両手で口を抑える。

    「あなたって、おかしな人ね」

    思ったより可愛らしい笑顔に、ロイもつられて笑う。

    「なぜ?」
    「だって、名前も知らない私をここまで強引に私を連れてきて・・・。アルルにまで一緒に行って
    くれるなんて」
    「’おかしな人’なんて、初めて言われたな」

    女性は、しまったといった風に照れて謝った。

    「ごめんなさい。親切にしてくれてる人に対して失礼なこと言ってしまって」
    「違うよ。嬉しいんだ。私にとっては褒め言葉だ」

    そう言ってコーヒーを手渡した。

    「私の名前は小夜」
    「サヨ?」

    小夜はうんと頷いて、今度はロイに名前を尋ねた。

    「ロイだ。よろしく」

    ロイは手を差し出した。

    「でも、その・・・’ウォルターさん’てお呼びしたほうがいいんじゃないかしら」

    小夜はおずおずと手を差し出した。
    ロイは首を横に振って言った。

    「ロイでいいよ。アルルの旅を楽しもう」

    そう言って小夜と握手した。
    小夜の手は細く冷たく、か弱い印象を与えた。

    TGVが走り出す。ロイは外を眺めた。日が暮れたパリの町並みが見える。

    「それにしても、パスポートもお金も失くして災難だったね」
    「本当に・・・。昨日、パリに着いたばかりで、今日の昼に失くしていたの」
    「昨日?じゃあ、全く観光していないじゃないか」
    小夜はため息をついた。
    「疲れてたのか、メトロでうとうとしてたら、首からさげてた小さいバッグがなくて・・・。
    私って、ほんとうに駄目ね・・・。」

    最後は日本語で呟くように言っていたが、落ち込んでいるのはわかった。

    「・・・なぜアルルに行きたいの?」

    ロイの質問に小夜は言おうかどうかためらっているようだった。小夜はコーヒーをゆっくりと口にした。

    「・・・『夜のカフェテラス』(Le Cafe de soir)って知ってる?」
    「ゴッホの?」

    アルルといえばゴッホだ。Le Cafe de soirといえばすぐにわかった。

    暗い、夜のアルルの街に、カフェテラスの灯りが輝く。
    星が瞬く深く青い夜空と、オレンジ色のテラスの灯りのコントラストが見事な絵を頭に思い浮かべた。

    うんと小夜は頷いた。

    「あの絵が描かれた場所に行きたくて」
    「君は、画家なの?」

    小夜は照れて首を横に振った。

    「そんなんじゃないの。全然絵のセンスもないし、絵の知識があるわけでもないの。ただ、
    ずっと小さい頃からあの絵を目にしていて・・・いつか見に行きたいって思ってたから・・・」

    小夜は少し悲しそうに、何かを思い出すように言った。
    ロイはそんな小夜の横顔を見つめた。

    (同じ日本人でも、由加子と比べると、なんていうか・・・)

    ロイは’地味’という言葉が浮かんだが、失礼だと思いあわてて打ち消した。

    決して顔の作りが悪いわけではない。どちらかといえば美人だと思う。しかし、化粧をしていないからか、
    どことなく幸薄な雰囲気が漂う。日に焼けてない白い肌は美しいというより、不健康な印象を与える。

    「君は何歳?学生に見えるけど・・・」

    ロイがそう言うと、小夜は驚いて笑った。

    「違うわ。私、27歳。この前まで働いてたの。・・・そんなに幼く見えるのかしら」
    「27歳?驚いたな。19歳ぐらいかと思ってたよ」

    小夜はふふふと笑って言った。

    「いくらなんでもそれはないわ!もしかして気を使ってくれてるの?」

    小夜の笑顔はロイの心を弾ませた。

    「気を使う?社交辞令なんて言い飽きてるのに、今ここで使うつもりはないよ」

    ロイは冗談めかして言った。
    二人で微笑みあう。


    車中はずっと二人でおしゃべりをして過ごした。

    小夜はロイの話に、じっと耳を傾け、わからない英単語が出てくると少し首をかしげるので、ロイは
    小夜のわかる単語でそれを言い換えてあげるのだが、その行為は全く苦ではなかった。

    むしろ、そうすることで小夜が理解したとうんうんと頷くと、嬉しい気持ちになる。

    あっという間に時が過ぎ、二人はアルルにたどり着いた。

    しかし、もう夜の9時を過ぎている。泊まるホテルを探したほうがいいだろう。
    駅にはタクシーもなく、電話でタクシーを呼び出し、アルルの中心地まで連れていってもらう。

    空きがないのを覚悟でアルルの中心地にあるホテルをあたった。
    しかし、幸運にも2部屋あいていた。

    元は修道院だったらしく、綺麗に改装されていた。エントランスには大きなマリア像があり、
    装飾しすぎない静かな雰囲気はまさに修道院を思わせる。
    中庭も綺麗に剪定され、昼間はきっとまぶしい日差しが入り込むだろうと思わせた。

    小夜はとても気に入ったらしく、目を輝かせて喜んだ。

    「素敵・・・こんなところに泊まれるなんて・・・」
    「明日はアルルをゆっくり観光しよう。そして明日の夕方パリに戻ればいい」

    小夜は頷いた。ロイは小夜の部屋の鍵を渡した。部屋を案内してくれたホテルの従業員が部屋の説明を
    簡単にして出ていくと、ロイと小夜はそれぞれ部屋で一休みすることにした。

    窓を開け、外を眺める。アルルの町はパリと比べて静かで、時間もゆっくり流れている気がする。

    ロイは来る予定のなかったアルルに今いるということを改めて不思議に思った。
    普段はあまりこうやって思い切ったことはしない。たまにはいい。

    ふと、小夜が言っていたことを思い出す。

    Le Cafe de soirの絵を見てアルルに行きたいと思ったと言っていたが、あのカフェは現存すると
    聞いたことがある。

    明日夕方帰るのであれば、絵と同じように夜のカフェテラスを見るなら今夜行くしかない。

    ロイは部屋を出て、隣の小夜の部屋のドアをノックした。

    「小夜、入ってもいい?」
    「どうぞ」

    すぐに返事が返ってきて、鍵が開けられた。

    「ねえ、Le Cafe de soirの絵のカフェに行ってみない?明日帰るなら、今夜しか絵の雰囲気は
    味わえないと思ってね」
    「あのカフェって、今も存在するの?」

    小夜は驚いて聞いた。

    「確かそうだったと思う。サンドウィッチだけでお腹も足りないだろうし、ちょっと行ってみようよ」

    小夜はパアっと顔を明るくし、喜んで行くと答えた。

    ホテルの従業員に店の場所を聞いて二人はでかけた。
    小夜はしっかりカメラを手に持っていた。

    「なんだかドキドキするわ」

    うきうきした足取りで向かう小夜を見て、ロイはあの時ほっておかないで良かったと思った。

    「ほら、あそこだよ」

    ロイがカフェを指差す。薄暗いアルルの夜に、人々の賑やかな声とカフェの明るい灯が路地を彩る。

    「あれが・・・」

    小夜は足を止め、じっとその景色を眺めた。
    カメラを構えるのも忘れ、佇む。きっと頭の中は絵と現実の風景が入り乱れているに違いない。

    「素敵・・・」

    小夜はそう呟くと、やっとカメラを構えた。
    ロイもカフェの景色を眺める。こうやって名作を現実のものとして感じられるのも、小夜のおかげだ。
    小夜は何枚か写真を撮ったが、ため息をついて言った。

    「なんだか・・・写真を撮るのが虚しいわ。あの絵に勝るものなんて、絶対に撮れないもの」
    「そんなことはないよ。君がここにきた証じゃないか。お家に返って、絵の横に写真を並べてごらんよ。それを見て思い出すんだ。ああ、あのおかしなイギリス人と一緒に見たんだわって」

    小夜はふふふと笑った。

    「パスポートと現金を失ったことも思い出すわね」
    「そうさ。悲劇のどん底の中で見た『夜のカフェテラス』は格別に美しかったって思い出すよ。きっと」

    小夜は優しい眼差しでロイを見上げた。
    カフェのオレンジ色の灯りが小夜を照らす。幻想的な小夜の姿にロイはドキリとした。

    「ありがとう。本当にあなたのおかげだわ。なんてお礼を言ったらいいか・・・」
    ロイは微笑み返した。

    「こちらこそ君にお礼を言いたいよ。思いがけず、名作の世界に触れられた。さあ、お次は絵の中に
    入ってワインを堪能しようじゃないか」
    「絵の中に?素敵!」

    そう言ってカフェに入っていった。
    二人は食事を充分に堪能した。小夜はいちいち感激し、満面の笑みを浮かべて食事を楽しんでいる。
    その様子を見て、ロイも思わず微笑んだ。

    隣の席に座っていた旅行者のアメリカ人の老人に新婚旅行かと聞かれ、ロイが冗談でそうだと答えると、
    小夜は照れて笑った。

    帰り道、ワインを飲んだ小夜は少し陽気だった。

    「夫婦に間違えられちゃったわね」
    「嫌だった?」

    小夜はううんと首を横に振った。

    「あなたみたいな素敵な人と、夫婦に間違えられて嫌な女性なんていないわ」

    小夜は少し寂しそうに言った。

    「・・・君は・・・恋人がいるの?」

    小夜は地面に落としていた視線をロイに向けた。
    そして、また首を横に振る。

    「今はいないわ。少し前まではいたけど・・・」

    ロイはそう、と小さく答えた。

    「あなたは?」

    小夜が尋ねる。

    ロイはいないよと答えた。実際には特定の恋人はいないにしても、デートする相手は沢山いるのだが、
    正直にそう話すのはさすがに控えた。

    それでも小夜は察しているらしく、ふふふとまた笑った。

    「いないはずないわね。きっとあなたの本命になりたがってる女性は世界中にいるんだわ」

    そう言って黙り込んでしまった。ロイは返す言葉もなく、同じく無言で歩いた。

    夜空を見上げると、星が瞬いているのが見える。
    ゴッホも何度となく見上げたに違いない。あんな夜空が描ける画家はそういないだろうとロイは思った。

    小夜も夜空を見上げる。
    二人して同じ気持ちなのが伝わる。アルルの夜空を見るだけでも、ここに来る価値はあるとロイは思った。



    ホテルに戻り、明日朝食の時に迎えにいくと言って各々部屋に入った。

    ロイはシャワーを浴び、ミニバーのライム味のぺリエを飲んだ。
    そこでやっと、パリの友人に何の連絡もしていないことを思い出した。
    慌てて携帯電話を取り出す。いくつか着信があった。

    「ロイ!」

    友人は怒ったような声を上げた。

    「ごめん、連絡しなくて。今アルルにいるんだ」
    「アルル!?何だってそんなところに・・・心配したんだぞ」
    「ごめん。明日にはパリに戻る。また連絡するから」
    「女か?」

    友人は笑いながら尋ねた。

    「そんなんじゃないよ」

    ロイは誤魔化して、詮索される前に電話を切った。

    そんなんじゃない・・・。そうだ、小夜は他の女性とは少し違う。

    (そういう艶めいたものではなく、なんていうか・・・)

    初恋の少女に感じるような、淡く、純粋な気持ちにさせるのだ。
    あの無邪気さや一生懸命さ、謙虚さを持った女性はロイの周りにはいなかった。

    ぺリエの泡を見つめる。そう、まさにぺリエのようだ。体に爽快感が走る感じだ。

    その時、扉がノックされた。もうそろそろ12時である。

    「はい?」
    「あ、あの・・・小夜です。まだ起きてる?」

    ロイはバスローブのまま出ていいか迷ったが、とりあえず用事を聞くだけ聞こうとドアを開けた。

    「どうしたの?眠れない?」
    「ごめんなさい。お疲れよね?」
    「いいや、なんだか興奮して眠れないなと思っていたところだよ。入る?」
    「いいの?」

    ロイは微笑みを返し、小夜を部屋に導いた。

    「ぺリエでも飲む?」

    そう言って小夜を見ると、手にワインの瓶と紙袋を持っていた。

    「あなたさえ良かったら、もう少し付き合ってもらえるかしら」

    小夜は遠慮がちに言った。
    ロイは驚いてワインの瓶を手にする。

    「いつ買ったの?」
    「今朝よ。お金を盗られる前にスーパーマーケットで買ったの。買うつもりもなかったんだけど、
    何気なくスーパーマーケットに立ち寄ったら欲しくなっちゃって。すごいのね、ワインの数の多さったら。
    夜、1人でワインとチーズで楽しむつもりだったの」
    「驚いたな。じゃあ、今日一日ずっとこれを鞄に入れていたの?」

    小夜は恥ずかしそうに頷いた。

    「僕もご一緒していいんだね?」
    「そうしてくれると嬉しいわ」

    ロイはフロントに電話し、グラスと皿、ナイフとフォークを持ってくるよう頼んだ。夜中なのに、
    快く引き受けてくれた。チップを多めに置いていこう。

    小夜が壁際の椅子に座ろうとするのを見て、ロイは言った。

    「その椅子は硬いだろう?ベッドに座っていいよ」
    「でも、汚したら大変だわ」
    「汚れたら君のベッドで一緒に寝るよ」

    ロイは冗談めかして言った。

    「あら、それはわざと汚せって言ってるのか、絶対汚すなって言ってるのかどちらかしら」

    小夜も笑いながら答える。

    フルボディの赤ワインとチーズとサラミ。二人の小さな宴会が始まった。

    「安いワインなの・・・あなたの口に合うかしら」

    小夜は少し心配そうに言った。
    ロイはワインを一口飲み、とんでもないといった風に言った。

    「君みたいな女性と飲めば、どんなワインだってヴィンテージ物になる」

    小夜はふふふと笑って言った。

    「あなたの知ってる日本語をあててあげるわ。『美しい』『素晴らしい』『食事でもいかが?』」
    「『送りましょう』も言えるよ」

    ロイがいたずらっぽく言う。
    小夜がまた笑う。

    少しの間、黙ってワインを堪能する。

    「あの・・・あなたに散々お世話になってこんなお願いするのも図々しいと思うんだけど・・・」

    小夜が少し迷いながら言った。

    「何?」
    「私の・・・話を聞いてもらえるかしら?」
    「もちろん。なんでも聞くよ」

    小夜はワインを一口飲んでグラスを見つめた。

    「あのね、私、5年つきあってた恋人がいたの。同じ会社の人で、彼の方から告白してきた。
    私、特別その人が好きだったわけじゃないけど、OKした。出会いなんかなかったし、好きと言われて
    舞い上がってたのね」

    ロイはじっと小夜を見つめた。小夜の左目の下にはホクロがある。それに気がつくと幼い彼女が少し
    大人びて見えた。

    「結局最後まで、その人が大好きだったかどうか・・・わからなかった。でもね、それは彼も同じ
    だったのね。別れ際に、『こんなつまらない女だと思わなかった』って・・・言われたの」

    ロイは彼女の自信のなさはそこに由来するのかと思った。
    小夜は悲しそうに笑った。

    「5年一緒にいて、この人、ずっとつまらなかったんだわと思うと・・・すごくむなしくて・・・」
    「それで・・・フランスに傷心旅行に?」

    小夜は首を横に振った。

    「私、むなしいなと思ったけど、悲しくて泣いたりしなかった。もちろんもう一度やり直したいとも
    思わなかった。フランスに来たのは・・・」
    「来たのは?」

    小夜はロイの目をじっと見つめた。

    「あなたのような人にこんな話するのは、とても恥ずかしいんだけど・・・」

    そう言って、小夜はフランスに行こうと思った経緯を話してくれた。



    小夜は父親と二人で暮らしていた。母親は小夜が小さい時に家を出ていき、消息不明だった。

    小夜が大学に入ってすぐ、小夜の父が勤めていた会社が大規模なリストラを行い、小夜の父は
    急遽職を失った。

    社宅も追い出され、ドラマに出てきそうな古いアパートで暮らし始めた。大学も1年通うことなく退学した。

    父の歳で再就職は難しかった。せっかく見つけた掃除やスーパーの仕事も、大手企業に勤めていた
    父のちっぽけなプライドが邪魔し、長く続かなかった。

    財産を株や先物取引に費やし、借金だけが増えていった。
    当然、そのしわ寄せが小夜にやってくる。

    小夜は小さな運送会社の事務員として働き始め、少ない給料をもらいながら借金返済に追われる生活だった。
    それでもまた父親は借金をしてくる。
    その繰り返しだった。

    そんな父を見かねて、昔からの友人の女性が仕事を斡旋し、事務仕事に就かせてくれた。それから父は
    ギャンブルを止め、借金もしなくなった。アパートを出て、普通のマンションに引っ越すこともできた。

    二人で力を合わせて借金も全て返したのだという。

    「借金もなくなって、父もその女性と再婚したの。・・・私、やっと解放されて、なんだか気が
    抜けちゃって・・・。それまで、ずっと何かに縛られているように生きてきたから・・・」
    「それで、今度は自分のために生きようと思ったんだね?」

    うんと小夜は頷いた。

    「うちにね、『夜のカフェテラス』のポスターがあったの。ちゃんと額縁に入って。父は言わなかったけど、
    母が好きな絵だったみたい。
    古いアパートにもそれは持っていった。もうね、ぼろぼろのアパートだから、あの絵がすごく鮮やかに見えた。
    そこだけまるで別世界なのね。カフェのオレンジ色が眩しくて・・・。
    でも、その時はそこに行きたいとは思ってなかった」

    ロイが小夜のグラスにワインを注いだ。ありがとうと小さく言って、代わりにチーズをフォークに刺して
    ロイに渡した。

    「父が再婚して、マンションを出ていった夜に、あの絵を持っていってないことに気がついたの。
    ああ、父は過去を捨てて、あの人と人生をやり直したのね・・・と思ったら急に、私はなんでここに
    いるのかしらって思えてきて。次の日には会社を辞めるって言って、旅行会社に駆け込んだの。
    勢いで出発したから、何の下調べもしなかった。だからあのカフェが現存するのも知らなかった」
    「すごい衝動に駆られたんだね」

    『衝動』とう単語がわからず、小夜は首をかしげた。
    ロイは’目に見えない力に動かされた’と言い換えた。
    小夜が頷く。

    「とにかくあの絵が描かれた場所に行きたい!って思った。ずっと別世界だと思っていた空間に行って、
    現実として感じたかった。なんていうか・・・手に届かないものではないって、思いたかったのね。」

    ロイは頷いた。


    「どうだった?現実として感じた感想は?」
    「ああ、あのぼろぼろのアパートとアルルは繋がっていたんだわって思った。上手く言えないけど・・・
    あの生活があったからアルルに来たんだと思うし、あの絵が私をアルルに来させたのねって」
    「そう・・・。君にとってはフランスに来ることはただ単に’旅行’ではなかったんだね。フランスに
    来るということは、君が今までの自分を脱ぎ捨てて、新しい世界に飛び込むことを意味していたんだ。
    飛行機に乗って、入国審査をして、パリの街を歩いて・・・そうすることで、徐々に脱ぎ捨てたんだ。
    一枚ずつ服を脱ぐようにね」

    ロイがそう言うと、小夜は驚いた顔でロイを見つめた。

    「すごい・・・なんでわかるの?」
    「僕もそうだからさ。フランスに来ると、イギリスでの堅苦しい生活から解放される気がするから」

    そう・・・と小夜は微笑んだ。

    「なんだか、あなたに話したら、すごくすっきりしたわ。父のこと、誰にも話したことなかったの。
    前の彼にも友達にも」
    「お役に立てたなら光栄だよ」

    小夜はじっとロイの瞳を見つめた。ワインのせいか、その黒い瞳は潤んで、黒真珠のようだった。

    「あなた・・・本当に素敵な人ね。優しくて・・・気がきいて・・・。私、ずっとついてない人生だと
    思ってきたけど、あなたみたいな人に出会えて、なんて幸運なのかしらって、今は思うわ」

    小夜のロイへの感謝の気持ちを露にした柔らかい表情に、ロイは胸を締め付けられた。
    それは魔法をかけられたように、突然ロイに訪れた感情だった。

    (これは一体・・・)

    ロイは困惑した。目の前の小夜は暖かい光を放っているようにすら見えた。
    由加子の時のような、激しい感情に襲われるのとは違う、小さな波が徐々に押し寄せるように、
    それはロイを包み込んだ。

    小夜はワインを飲み干して、時計を見てハッとした。

    「大変!もうこんな時間!・・・ごめんなさい、こんな遅くまで・・・。話を聞いてくれてありがとう」

    小夜が帰ろうとしたので、ロイは咄嗟に小夜の腕を掴んだ。

    「待って・・・!」

    小夜は驚いてロイを見た。
    ロイも自分でなぜ引き止めたのかわからず、うろたえた。

    「いや・・・、もう少し・・・もう少し飲もうよ。ほら、ワインもまだ残ってる」
    「・・・そうね。私も・・・本当言うと、もう少し飲みたいの」

    小夜はワインのボトルを見て、恥ずかしそうに笑った。
    ロイはホッとして小夜の腕を離した。
    そして小夜を見つめて心の中で呟いた。


    いっそのことベッドにワインを溢そうか・・・?




    結局、二人は夜中までおしゃべりし、気がついたらベッドで眠ってしまっていた。
    朝になり、眩しい日差しが窓から入り込み、ロイは目を覚ました。

    少女のように無垢な小夜の寝顔は、最高の目覚ましだと思った。
    ロイがしばらく眺めていると、小夜は寝返りを打って目を覚ました。

    「あ・・・」
    「おはよう」

    ロイの姿を見て、小夜はガバッと起き上がり、慌ててベッドから降りた。

    「私ったら・・・あのまま寝ちゃったなんて!ごめんなさい!」
    「なんで謝るの?起きたら君の寝顔が間近にあって、なんて幸せなんだと思っていたところだよ」

    小夜はか〜と顔を赤らめて、もう一度ごめんなさいと呟いて出ていってしまった。
    ロイは声を立てて笑った。



    ホテルでの朝食を済ませて、アルルを観光する。

    アルルの日差しは予想以上に眩しかった。パリとは大違いの青空に、本当に同じフランスなのかと
    思うほどだった。

    円形闘技場、古代劇場、公共浴場、サン・トロフィーム教会、ゴッホ病院・・・
    中でも圧巻だったのが、古代ローマのフォーラムの地下回廊だった。

    「すごい・・・。紀元前40年に、こんなものを地下に作るなんて、ローマ人てすごいのね」

    小夜はため息をついて言った。
    ロイも同意し、頷く。

    「ローマ人の建築技術は素晴らしいよ。ギリシア人よりも、実用的な建築物を作るのだ得意だったんだ。
    さっき見てきた円形闘技場や公共浴場とかね」

    小夜は、へえ〜と感心した。地下回廊はとても薄暗い。

    ロイは自然と小夜の手を握った。
    ひんやりと冷たく、か細いが、小夜は力をこめてしっかりと握り返してきた。

    地下回廊を出てアルルの町をゆっくりと、小夜の歩幅に合わせて歩く。小夜がロイを見上げて微笑む度に
    ロイは嬉しさで目を細める。

    ロイの中で徐々にある感情が膨らんでいく。

    それは夕方になってアルルの観光を終えると更に大きくなり、明日小夜が日本に帰ることを思うたびに
    胸を締め付けた。

    (日本に・・・帰したくない・・・)

    二人は地下回廊からずっと手をつないで歩いた。それはまるで、ずっとそうしてきたかのように自然な
    振る舞いだった。

    アルルの駅から電車がゆっくりと走り出す。
    小夜はポツリと呟いた。

    「もう・・・終わってしまうのね」
    その声は、寂しさを隠すかのようにぎこちなかった。

    ロイは何も言えず、小夜の手をぎゅっと握った。




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